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ファティマの聖母出現
旅行先 : ポルトガル
ある出来事について検討するとき、それに関わった人物や時代など、いろいろな角度から眺めることが可能ですが、ここでは出現という中心課題のみに焦点をしぼって出来るだけ簡単にまとめてみたいと思います(文中、太字は編者)。

<その概観> <その内容と要請> <その客観的現象> <その祈り> <その信心>

《参考文献》

セ・バルタス著『ファチマの牧童』中山利喜太郎訳(光明社1979年6月4版)。

『現代の危機を告げる ファチマの聖母の啓示――ルチア修女の手記』ヴィットリオ・ガバッソ、志村辰弥共訳編(ドン・ボスコ社1992年5月3版)。

アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著『ファチマの聖母 そのメッセージは希望の預言か? 悲劇の預言か?』成相明人訳(『フマネ・ヴィテ』研究会刊1997年10月1刷)。

『ファティマ第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最終公文書』カトリック中央協議会福音宣教研究室訳(カトリック中央協議会刊2001年4月)。

<その概観>

1. 出現の場所

ポルトガルのファティマという村。

2. 出現を受けた人

牧童3人。
ルシア・デ・イエズス・ドス・サントス(1907年3月22日生、2005年2月13日帰天)。
聖母の姿を見て、その声を聞き、対話した。
フランシスコ・マルト(1908年6月11日生、1919年4月4日帰天。列福)。
聖母の姿は見えたが、その声は聞くことが出来なかった。
ヤシンタ・マルト(1910年3月10日生、1920年2月20日帰天。列福)。
聖母の姿を見て、その声を聞いたが、話はしなかった。
フランシスコとヤシンタは兄妹で、ルシアのいとこ。

3.出現の年月日、地名、出現者

年月日        地名             出現者

1916年春      カペソの洞窟のそば      平和の天使
 同年 夏      ルシアの家の井戸そば      同上(ポルトガルの守護の天使)
 同年 初秋     プレグエイラのオリーブ畑   一位の天使
1917年5月13日   コーワ・ダ・イリアの柊の上  天国からの貴婦人
 同年 6月13日    同上             同上
 同年 7月13日    同上             同上
 同年 8月15日   村近くのヴァリニョスの柊の上  同上
 同年 9月13日   コーワ・ダ・イリアの柊の上   同上
 同年10月13日   同上              同上(ロザリオの聖母)
                          幼子イエズス、聖ヨゼフ
1929年6月13日  ポンテ・ヴェドラの修道院聖堂  聖父と聖子と聖霊と十字架
                          ファティマの聖母
上記以外に、私的な出現が3人の生涯にわたって頻繁に起こる。

<その内容と要請>

1916年春 平和の天使
祈りへ誘い、神への祈りとその仕方を教える。

1916年夏 ポルトガルの守護の天使
神への祈りと犠牲、予定されている苦しみの甘受を要請。ポルトガルの救いを約束。

1916年初秋 一位の天使(前2回と同じ天使かどうかは不明)
聖父と聖子と聖霊、キリストへの侮辱を償い罪人の改心を願う祈りを教える。
その後、ルシアにホスチア(編者:ミサに使う薄く白い種無しパン)、ヤシンタとフランシスコにカリスの聖血(編者:カリスは杯、聖血はミサにより主の血に変容したぶどう酒)を与える。

1917年5月13日 天国からの貴婦人
天国から来たことを告げ、6ヶ月続けて13日の正午頃にこの場所に来るように要請。
さらに、7回目の出現を予告。
ルシア、ヤシンタ、フランシスコの3人が天国へ行けることを約束。
冒涜の罪の償いと罪人の改心のため、神が与えることを予定されている苦しみを甘受することを再度要請。
世界平和と戦争(第1次世界大戦)の終結を願って毎日ロザリオを祈ることを要請。

1917年6月13日 天国からの貴婦人
来月の13日にまた来ること、毎日ロザリオを祈ること、読み書きできるように勉強に励むことを要請。
ヤシンタとフランシスコの間近い帰天、ルシアは聖母の汚れなきみ心への信心を世に広める使命のため長生きすることを予言。

1917年7月13日 天国からの貴婦人
来月の13日にまた来ること、世界平和と戦争(第1次世界大戦)の終結のために毎日続けてロザリオを祈ることを再度要請。
10月に自身の名前と希望を知らせること、出現の正銘性のために奇跡を行うことを予告。
罪人の改心のため、聖母への侮辱を償うための苦行をするときの祈りを教える。
ロザリオの各連のあとに付け加える祈り(後にファティマの祈りとして知られる)を教える。
〔ファティマ第1の秘密〕地獄の情景
「マリアは、わたしたちに広大な火の海をお見せになりました。それはまさに、地の下にあるもののようでした。この火の中に、サタンと人間の形をした魂とが閉じ込められていました。この魂は、透き通るように燃え上がる燃えさしのようで、すべては黒く、あるいは光り輝く青銅色をしていて、大きな炎の中に漂っていました。彼らは自分の中から放つ炎によって、巨大な煙の雲とともに空中に吹き上げられ、ぞっとするような、しかも恐怖に震え上がるような苦痛と失望の悲鳴とうめき声を上げながら、重さもバランスも失って、火花のように大火の中を四方八方に飛び散っていました。サタンは、見たこともない奇怪な動物の形をしていたのでそれと分かりましたが、戦慄を覚えさせるような気味の悪い形相をしており、透明で黒い色をしていました。このビジョンは、ほんの一瞬の間続いただけでした。天の母マリアが、最初のご出現のときにわたしたちを天に連れて行くことを前もって約束してくださっていたことに、わたしたちはどれほど感謝したことでしょう。もしそうでなければ、わたしたちは恐怖のあまり死んでしまったと思います。」
〔ファティマ第2の秘密〕20世紀の予言
「そのあと、マリアに目を上げると、優しいけれども悲しそうに、こうおっしゃいました。『あなたたちは、あわれな罪びとの魂が落ちていく地獄を見ました。罪びとを救うために、神は、わたしの汚れない心に対する信心を世に定着させるよう望んでおられます。もし、わたしがあなたたちに言うことを人々が実行するなら、多くの魂は救われ、平和を得るでしょう。戦争(編者:第1次世界大戦)がもうすぐ終わろうとしています。しかし、もし人々が神に背くのをやめないなら、ピオ十一世(編者:教皇在位1922年〜1939年。聖母がこの名前を口にされたとき、それが王であるのか教皇であるのかさえ知らなかったと後にルシアは証言している)が教皇である間に、もう一つの、もっとひどい戦争(編者:第2次世界大戦)が始まるでしょう。ある夜、まだ見たことのない光がやみを照らすのを見たなら、それは、戦争や飢餓、教会と教皇に対する迫害による世の罪のために今まさに神が、世を滅ぼそうとしておられる大いなるしるしであると悟りなさい(編者:ルシアは1938年1月25日から26日にかけての夜、ヨーロッパの空を覆った不思議な光を偉大なしるしとみなした。次項<その客観的現象>の1938年参照)。それを防ぐために、わたしの汚れない心にロシアを奉献することと、償いのために毎月初めの土曜日に聖体拝領をするよう、わたしはお願いにまいります。もし、わたしのこの要請を受け入れるなら、ロシアは回心し、平和が訪れるでしょう。さもなければ、ロシアは、戦争と教会への迫害を推し進めながら、自分の誤りを世界中にまき散らすでしょう(編者:聖母出現と同じ1917年2月革命、同年10月下旬ボリシェヴィキが政権奪取、1922年人類史上初の無神論国家であるソビエト社会主義共和国連邦成立。しかし、こうした知識を学校に通っていない牧童たちが知るはずもありませんでした)。善良な人々は殉教し、教皇は非常に苦しみ、多くの国々は滅ぼされるでしょう。けれども、最後には、わたしの汚れない心が勝利するでしょう。教皇は、ロシアをわたしに奉献し、ロシアは回心し、世界に平和の時が与えられるでしょう』。」
〔ファティマ第3の秘密〕
この部分は、2000年になるまでヴァチカンの教皇庁に保管されたまま公表されませんでした。公表された文書の内容にも不明な点があり、まだ公表されていない部分が残されているのではないかと疑われます。
「すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。この剣は、まるで世界を火で焼き尽くさんばかりに、火花を散らして光り輝いていました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。それからわたしたちには、はかりしれない光――それは神です――の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って(編者註)見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃虚と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂のために祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまずいてひれ伏されたとき、一団の兵士たちによって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されていきました。十字架の両腕の下には二人の天使がいて、おのおの手にした水晶の聖水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。」
(編者註:1コリント10:12「われわれが今、見ているのは、ぼんやりと鏡に映ってのもの。『その時』に見るのは、顔と顔を合わせてのもの。」フランシスコ会聖書研究所訳『新約聖書』1989年4月改訂15刷参照)。
(〔ファティマ第1、第2、第3の秘密〕は、前記参考文献『ファティマ第三の秘密 教皇庁発表』から抜粋)。

1917年8月15日 天国からの貴婦人(妨害により出現の日時と場所が異なる)
来月の13日にコヴァ・ダ・イリアに行くこと、毎日ロザリオを祈ることを要請。
10月に奇跡を行うことを再度予告。
群集が出現場所に置いていった献金の使途について、行列用の担架、天蓋、衣服、ロザリオの祝日を祝うための費用、聖堂の建築費等にするように。
罪人のための祈りと犠牲を再度要請。

1917年9月13日 天国からの貴婦人
戦争(第1次世界大戦)が終わるようにロザリオの祈りを続けることを再度要請。
10月に、聖ヨゼフと幼いイエズスが全世界を祝福するために来られると予告。
10月に奇跡を行うことを再度予告。
牧童3人の苦行の仕方についての注意。夜は、荒縄を体に巻いて苦行したりせずによく眠るように。

1917年10月13日 ロザリオの聖母
ロザリオの聖母と名乗り、出現場所に聖堂の建築を要請。
毎日ロザリオを続けて祈ることを再度要請。
出現の目的が、信者への改心、罪の痛悔、償いの必要なことを教え諭すためと述べる。
第1次世界大戦の間近い終結を再度予言。
主はすでに多くの侮辱を受けておられるので、これ以上背かないようにと願われる。

1929年6月13日 ファティマの聖母
三位一体の奥義と、この神秘についての表現不可能な啓示が示される。
ロシアを聖母の汚れなき御心に奉献する時期が来たことを告げる。
奉献の条件(教皇と全世界の司教が一致)と、奉献がなされた場合のロシアの救いを約束。
聖母に反する罪人のために、償いと犠牲と祈りを要請。
(編者:前年の1928年からソ連では第一次五ヵ年計画が始まり、その強引な政策により以後700〜1000万人もの餓死者が出ることになりました)。

<その客観的現象>

ここで言う客観的現象とは、出現を直接的に受けた牧童3人以外の第三者(うわさを聞いて集まってきた群集等)に認められた、通常ではない現象のことを言います。

1915年4月〜10月 前兆のような出来事が3回
第三者は、羊飼いの少女3人。
ルシアと羊飼いの少女3人が、谷間の木の上空に透明な白い雲か雪のような人間の形を見る。

1916年春 平和の天使
1916年夏 ポルトガルの守護の天使
1916年初秋 一位の天使
上記3回の天使の出現は牧童3人の間だけの秘密にされていたため、第三者はいなかった。

1917年5月13日 天国からの貴婦人
聖母の第1回の出現のときに現場にいたのは牧童3人だけで、第三者はいなかった。

1917年6月13日 天国からの貴婦人
第三者として見物人50〜60人ほど。
ルシアが聖母へ話し始める直前、柊のてっぺんが重みがかかったように曲がる。
木の枝という枝はすべて若芽のように黄一色になった。
聖母とルシアの対話が始まった後の数分間、太陽の光が暗くなる。
聖母が語っている間、数人は、ハチの羽音に似たささやき声らしい音を聞く。
出現の終わりに、柊の木の枝は一つ残らずいっせいにもち上がって、順々に聖母の去ってゆく東の方向へなびき伏す。元に戻ったのは数時間後。

1917年7月13日 天国からの貴婦人
推定5〜6千人。ファティマ始まって以来の大群集。
出現の始まりと共に、柊の木の上に灰色がかった雲がかかる。
太陽光線が暗くなり、真夏なのに冷たい風が山から吹き下りてくる。
空き瓶の中で飛び回っているハエの羽音に似たような音(フランシスコとヤシンタの父親マルト氏の証言)。

1917年8月13日(牧童たちは妨害に合い連れ去られる。従って出現は無かった)
出現があると思って集まった推定1万8千人の大群集。
出現の時刻になると一点の雲もない空に、いつものように稲妻に伴われた雷鳴が聞える。
いつもの光につづき、柊の木の上に数分間、白い雲が漂う。
人々の顔、着物、木々、地面の色が変化する。群集はこの不思議に満足して帰る。

1917年8月15日午後4時頃 天国からの貴婦人(日付は記憶の中ではっきりしていない)
第三者は、たまたま居合わせたフランシスコとヤシンタ2人の兄ヨハネのみ。
出現前の大気の変化、急速な気温の低下、太陽のかげりが始まる。
3人のうち、ヤシンタがいなかったのでヨハネが呼びにいく。出現はそのあと。

1917年9月13日 天国からの貴婦人
推定2〜3万人の大群集。
大気の変化、急速な気温低下、星影さえも見えるほどの太陽のかげり。
ひとむらの白い雲が、柊の木と3人の牧童を包んでしまう。
虹色にきらめく花びらか地面に落ちる前に溶けてしまう雪片のようなもの(この現象は、その後数万の巡礼者の前でしばしば繰り返された)。
出現の始めに東から西に、終わりに反対方向へ、ゆっくり堂々と移動する光る卵形の球体(これをポルトガル国民は「聖母の輝く飛行機」と呼んだ)。

1917年10月13日 ロザリオの聖母
推定7万人以上の大群集。
出現の間、雨が降りしきっていたが、3度、香の煙に似た小さい白いひとむらの雲が子どもたちの周囲にわき出て、やがて空中5、6メートルの高さまで舞いあがった。
出現の終わりに、〔太陽の奇跡〕。ポルトガル新聞オー・ディア・ジョールノ掲載記事より。
「午后一時頃、雨はピタリとやみ、空を覆っていた雲は散り失せて、太陽が薄灰色の光を放って次第に暗くなるように見えた。われわれは有明けの月を見るように、ベールに包まれたこの珍らしい太陽を見詰めていた。すると真珠草の灰色の光線が銀の円盤のようにかわり、次第に大きくなって、突然太陽が雲の間から輝きはじめた。そして、忽(たちま)ち灰色の光の円盤の中で火の車のように回転しはじめ、幾百条とも知れない光線が四方に放たれ、回転するに従って光線の色が変化した。雲も、地も、木も、岩も出現を見る三牧童も、これを見守る大群集も黄、赤、青、紫と次ぎ次ぎに色どられて行った。太陽が一時回転を停止すると、再びさらに強い光を放って踊りはじめた。そのうちに、また回転を停止したが、こんどは如何なる仕掛け花火の名人も想像することが出来ない不思議な花火を散らしながら、三度運動を開始した。大衆が受けたこの印象をなんと表現できようか? 観衆はただ恍惚として動かず、唾ずをのんでこの光景に見入っていた。すると、群集は太陽が大空を離れてジグザグに跳ね返りながら、自分たちの頭上に飛びこんで来るのを見た。
『ああ!』と恐怖の叫びが一斉に起こった。すべてのものが聖書の予言にある世の終わりの光景を思い出した(編者:マタイ24:29、ヨハネ黙示12:1、同16:8等)のであろう。
『奇跡だ!奇跡だ!』『私は神を信じます』『主よ、憐んで下さい』『めでたし聖寵充ち満てるマリアよ』と口々に叫ぶ声は壮烈たるものであった。
 太陽の回転は中止時間も加えて十分間ぐらいだった。参加者は例外なしに一人残らずこの回転を目撃した。その中には信者もいれば信者でない人もいた。学者も、新聞記者も、自由主義者もたくさんいた。そして驚いたことには、数分前に雨でぬれ、泥にまみれた着物がすっかり乾いていたことだった。」
 後年、教会がこの奇跡について調査したとき、コーワ・ダ・イリアを去る五キロ以上の地にいた者までが、何の予告もなく、なんの暗示や集団的錯覚の影響をも受けないで、太陽の回転を見たことが明らかにされた。
(〔太陽の奇跡〕は前記参考文献『現代の危機を告げる ファチマの聖母の啓示』から抜粋)。

1929年6月13日午後11時〜12時頃 ファティマの聖母
修道院の聖堂で、ルシア助修女1人だったから、第三者はいなかった。

1938年1月25日午後8時45分〜26日午前1時15分 ヨーロッパの空を覆う不思議な光
「1938年(昭和13年)1月26日の諸新聞は、(略)西ヨーロッパ全域にわたって確認された異常な極光(オーロラ)に関する電文を掲載した。
 その時刻に関してはどの新聞も一致していたが、その表現法にはいろいろあった。
『深紅から紫に変わった微光(びこう)』――スイスのフリブール市。『血潮の光を放射する噴火口上空のように火に燃える空』――アルプス地方。同地方のブリアンソン市では、配達人は夜半ランプなしで郵便物の配達ができた。『赤味を帯びた大きな虹のような極光で、地平線は大火災の火焔を反射しているようだった。この現象は白味を帯びた微光に変わったがやがてまたはじめの色にもどった。』――ベルギー沿岸地方。
 同様な記事は、ババリア地方、オーストリア、ハンガリア、スイス、ノルウェー、ロンドン、ローマ、ロンバルジア、ギリシャ、ポーランドなどの新聞にも掲載されていた。
 某新聞はこの現象に科学的注釈を試みたが、やがて沙汰やみになってしまった。」
(この項は、前記参考文献『ファチマの牧童』巻末附録から抜粋。聖母の予言との関連は、前項<その内容と要請>の1917年7月13日〔ファティマ第2の秘密〕参照)。

<その祈り>

1916年春 平和の天使
神への祈り。
「ああ、神さま、私はあなたを信じ、礼拝し、希望し、愛します。私はあなたを信じないもの、礼拝しないもの、希望しないもの、愛さないもののために、ゆるしをおねがいします」。

1916年初秋 一位の天使
侮辱を償い罪人の改心を願う祈り。
「父と子と聖霊にましますいとも聖き神よ、私たちは、心の底からあなたを礼拝し、イエズス・キリストが全世界の聖櫃の内でお受けになる侮辱を償うために、イエズス・キリストご自身の聖いおん体とおん血、ご霊魂、神性をあなたに捧げます。イエズスのみ心の限りないおん功徳と、マリアの汚れなきみ心のおん取り次ぎによって、不幸な罪人に改心の恵みをお与え下さい」。

1917年7月13日 天国からの貴婦人
苦行するときの祈り。
「イエズスよ、私はあなたを愛しますから、罪人の改心のため、聖母マリアのみ心に加えた侮辱を償うために、この犠牲を捧げます」。
ロザリオの各連のあとに付け加える祈り(ファティマの祈りとして知られる)。
「ああイエズスよ、私たちの罪を許し、地獄の火から逃れさせて下さい。すべての霊魂を天国へ導き、殊にあなたの憐みをもっとも必要とする霊魂をお助け下さい」。

1919年7月31日 ルシアの父親の死
ルシアの自分の部屋での祈り。
「我が神よ、我が神よ。主よ、あなたは私のために、あんなにたくさんの苦しみをあなたの倉に貯えておられることを想像もしませんでした。けれども私は、あなたの愛とマリア様の汚れないみ心のため、またパパ様(編者:教皇のこと)と罪人の改心のために、それらの苦しみをすべて献げます」。

1948年 ジョン・エム・アッフェルト氏に乞われてルシアが作成した祈り。
「ファチマでロシアの改宗と全人類に平和をもたらすことを約束なさった親愛なる元后、おん母聖マリアよ、私は、自分自身の罪と全世界の罪の償いとして、おごそかに次の約束をいたします。1.私の日常の務めを果たすことによって、毎日の犠牲を捧げること。2.主イエズスの奥義を黙想しながら、毎日ロザリオを唱えること。3.この約束の宣言として、また、私があなたのみ心に捧げられたしるしとして、カルメルのスカプラリオ(編者註)を身につけること。私は度々、特に誘惑に出合う時、この約束を更新します」。
(編者註:カルメルのスカプラリオ=カルメル修道会が一般の信徒に与える茶色い布切れ。一定の儀式と条件の下に、修道服の代用として、これを首からかけて常に身に着けている信者を保護する。1251年頃、カルメル会総長聖シモン・ストックに聖母が出現され、このスカプラリオを身につけて臨終を迎えるすべての人に、永遠の救いを約束された。小冊子『カルメル山の聖母 スカプラリオを理解するために』男子跣足カルメル会訳、ドン・ボスコ社1991年9月5版参照)。

初めて聖体拝領したときのルシアの祈り(6歳)。
「主よ、私を聖人にして下さい。あなたのためにだけ私の心を清く保って下さい」。

ルシアが好んだ射祷。
「我が神よ、私に下さったすべての恵みの感謝として、私はあなたを愛します」。

ヤシンタが好んだ射祷。
「わが主イエズスよ、私はあなたを愛します」。
「聖マリアの美しいみ心よ、わたしのたすかりとなってください」。

(<その祈り>は、前記参考文献『現代の危機を告げる ファチマの聖母の啓示』から抜粋)。

<その信心>

1917年6月13日 天国からの貴婦人
牧童たちは、自分たちを天国へ連れて行くように願いました。聖母は、仰せられました。
「間もなく、ヤチンタとフランシスコを迎えに来ますが、あなた(編者:ルシア)は、もっと永くここに居なければなりません。イエズスは、私が、人々に敬愛されるようにあなたを用いたいです。イエズスは、この世で私の汚れなきみ心の信心を制定されたいのです。この信心を守る人に、私は救いを与える約束をし、そして、霊魂は私の手から神の玉座を飾るようにおかれる花ですから、イエズスに愛されます」。
ルシア「では私は、ここに一人でいるでしょうか」と、悲しんで言いました。
聖母「いいえ、わが娘よ、いつまでもあなたを見捨てる事はないでしょう。私の汚れなき心は、あなたの避難所と、神へ導く道となるでしょう」。

1917年7月13日 天国からの貴婦人
「罪びとを救うために、神は、わたしの汚れない心に対する信心を世に定着させるよう望んでおられます」。
「わたしの汚れない心にロシアを奉献することと、償いのために毎月初めの土曜日に聖体拝領をするよう、わたしはお願いにまいります」。

1925年12月10日 幼いイエズスと聖母マリア
幼いイエズス「棘で覆われているあなた方のおん母のみ心に同情しなさい。恩知らずの人々は、み心を絶えまなく貫き、棘をとり除くために、償いをする人は居りません」。
聖母「わが娘よ、人々が絶えず忘恩と侮辱をもって、私の心を貫く棘に包まれた私の心をごらんなさい。少なくとも、あなたは私を慰めるように努めて下さい。そして、私は五ヵ月続いた初土曜日に、罪の許しの秘跡を受けて、聖体を拝領し、償いとして、ロザリオ五連唱え、十五分間ロザリオの玄義を黙想するすべての人を、臨終の時、私自身がそばに行って、助け、救う約束をします」。

1926年2月15日 幼いイエズス
幼いイエズスは、ルシアに聖母への信心を広めたかどうかを尋ねられる。
ルシア「院長は、信心を広める用意をしていますが、一人では何も実行できません」。
イエズス「あなたの院長が一人で何も出来ないのは当り前です。しかし、私の恵みによって、すべてをすることが出来ます」。
ルシアは、初土曜日の信心についてある人から頼まれ、土曜日にゆるしの秘跡を受けられない場合8日間中に告解すれば有効かどうか尋ねる。
イエズス「もっと長くてもよろしい。けれども、聖体を拝領する時、神の恩恵と愛を持ち、マリアの汚れなきみ心に償いを捧げる意向がなければなりません」。
ルシア「わがイエズスよ、この意向を忘れる人はどうなるのでしょう」。
イエズス「彼らは、最初の時にその意向を捧げればよいのです」。

1927年12月17日 聖櫃のイエズス
ルシアは、ファティマの秘密の中に含まれているマリアの汚れなきみ心の信心について、どんな方法でどの程度それを人々に打ち明けられるかを、聖櫃の前で祈った。
イエズス「わが娘よ、彼らがあなたに尋ねたことを書きなさい。母マリアの汚れなき心の信心について、ファチマであなたに知らせたすべての事を書きなさい。そして、残っている秘密は沈黙を守り続けなさい」。

1929年6月13日 言葉に表現できない三位一体の奥義の示現、ファティマの聖母
聖母「ロシアを私の汚れなき心に捧げる時が来たので、パパ様が、全世界の司教団と一致して、この奉献をしてほしいのです。これによって、私はロシアを救う約束をします。私に反する罪のために、神の正義によって罰せられる多くの霊魂がおります。それで、私は償いを願いに来ました。この意向のために、自分を犠牲にして下さい。そして祈って下さい」。
後に、内的な交わりによって、主はルシアにこう仰せられた。
イエズス「彼らは、私の要求に注意したくないのです。フランスの王のように、あとで後悔するでしょう(原註)。けれども、その時はすでにおそいでしょう。なぜなら、ロシアは全世界に自分の謬説を広めてしまうでしょうから。そして、ロシアは戦争を起こし、教会を迫害して、教皇はたくさん苦しむでしょう」。
(原註:「フランスの王のように、彼らは後悔するでしょう」とは、次のことである。
 1689年、聖マルガリタ・マリア・アラコクは、デイジョン院長を通して、フランス国王ルイ14世に、宮殿にイエズスのみ心の聖堂を建て、全国をみ心に捧げるように願った。そして、この奉献によって、フランス王家の上に、多くの恵みが注がれる約束をした。聖マルガリタのメッセージは政治的事情で達成されなかった。
 104年後、み心の信心がひじょうに広まったので、王室は、このメッセージを実行しようと望んだが、1792年、フランス大革命が勃発して、後継者ルイ16世は逮捕された。
 時はすでにおそく、王室とフランスをみ心に捧げることができなかった。そして、1793年6月21日、ルイ16世は革命者によって処刑された)。
(編者:ところで、もし仮に、現状のままでロシアが世界に先駆けて自ら“聖母の汚れなき御心”に自国を荘厳に奉献することにでもなれば、ヴァチカンもローマ・カトリック教世界も大恥をかくことになるのではないでしょうか? 2009年6月現在、ロシアはまだヴァチカンや世界各国の司教たちによって“聖母の汚れなき御心”へ奉献されてはいません。1984年3月の教皇ヨハネ・パウロ2世による奉献は全世界の奉献であり、ロシアの国名を明言されるものではありませんでした。司祭のマリア運動公式パンフレット『聖母から司祭へ』巻末掲載の教皇ヨハネ・パウロ2世による奉献文参照)。

1930年5月 ゴンザレス神父の質問状とそれへの回答

1.5回の初土曜日の信心について。聖母マリアは、いつ、どこで、どのようにしてお話しになったか。すなわち、もし、憶えているならば、その日付、どんな事情で、どんな方法で啓示されましたか?
(回答)
何時=1925年12月10日。
方法=主イエズスは、茨の冠にかこまれた汚れなきみ心の聖母マリアと共に、お現れになって償いを求められました。
場所=ポンテ・ベトラの修道院。第1の出現は私の修室で、第2回目は私が働いていた果樹園の門の所で。

2.この信心を果たすために、どんな条件が必要ですか?
(回答)
条件=5ヶ月間続けて初土曜日に、聖体を拝領すること。ロザリオを唱えること。15分間聖母マリアのもとで、ロザリオの玄義を黙想すること。罪のゆるしの秘跡を受けることです。神の恩恵をもっているなら、別の日に、罪のゆるしの秘跡を受けても支障ありません。

3.この信心を1回でも行なった人にどんな恵みが授けられますか?
(回答)
約束された恵み=この信心を行なう人は、臨終の時、聖母は救いに必要なすべての恵みをもって、彼を助けます。

4.なぜ、5回の初土曜日ですか? 9回、あるいは、聖母の7つの苦しみへの崇敬のために、7回の初土曜日ではいけませんか?
(回答)
なぜ5回の初土曜日か?=私は、1930年5月29日と30日の間にかけて、聖堂で第4と第5の質問の内容について、主イエズスに話しかけた時、神の現存にまず深く浸ったと感じました。それが間違いでないなら、次のことを啓示されました。
「我が娘よ、理由は簡単です。なぜなら、人々は、五つの方法でマリアのみ心に、侮辱を与えますから。1、聖マリアの汚れなきおん宿りを認めない。2、終生の処女性を認めない。3、神の母、人類の母としての人格を認めない。4、聖母に対する子供達の信心を妨げる。5、聖母のご絵、ご像を冒瀆する。
我が娘よ、それゆえ、私のおん母の汚れなきみ心に償いの務めをするように願いに来ました。この償いをもって、おん母を苦しめ、侮辱する人々の上に、罪の許しの恵みが注がれるように、あなたは心を尽くして、絶えず祈りと犠牲を献げて下さい」。

5.もし、ある人がこのすべての条件を土曜日に果たすことができないなら、日曜日に果たすことができますか? 農民は教会が遠いので、初土曜日の信心を果たすのが困難です。
(回答)
「初土曜日に、このすべての条件を果たすことが出来ないなら、日曜日にすることが出来ますか?」。
「この信心を、正当な理由で初土曜日行なうことが出来ない場合には、司祭の許しによって、次の日曜日に行なうことが出来ます」。

6.ロシアの救いについて、何が要求されますか?
(回答)
私の間違いでなければ、私たちのよい主は次のことを約束なさいました。すなわち、教皇様が公に償いをして、ロシアをイエズスとマリアのみ心に奉献するなら、ロシアの迫害は終わるでしょう。教皇様は、全世界のカトリック司教団と共に、この奉献をしなければなりません。そして、迫害が終わったら、聖マリアの汚れなきみ心への信心を広めるように、イエズスはすすめられました。

1948年 ジョン・エム・アッフェルトとの面接

質問 ロザリオを唱えることは、ファチマの聖母の第1の大切な要求ですか?
 答 いいえ。
質問 それでは、何を一番望まれますか?
 答 犠牲です。
質問 犠牲とは、どういう意味ですか?
 答 犠牲とは、日常の務めを忠実に果たして献げることです。
質問 すると、ロザリオの祈りは自由ではありませんか?
 答 ロザリオの祈りは、私たちの日常の務めを忠実に果たすように力づけますから、大切なものです。
質問 初土曜日の信心は大切ですか?
 答 はい、大切です。なぜなら、初土曜日の信心を行なう時、人々は、毎月自分自身を罪から清め、日常の務めをよく果たす決心を更新しますから。
質問 聖母の願いとして、日常の生活の務めを果たしながら、み心への献げ物とロザリオの祈りを唱えるなど、これらをふくめた簡単な祈りを作ることができますか?
 答 (ルシアはすぐ祈りを書き上げた。前項<その祈り>の1948年参照)。

(<その信心>は、大部分を前記参考文献『現代の危機を告げる ファチマの聖母の啓示』から抜粋し、他の参考文献も適宜参考にしました)。

(編者:このブログは営利目的ではありません。主と聖母への奉仕活動です。どなたか英語に訳して広めていただければ幸いです。もちろん著作権は放棄しております)。
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