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北新疆の旅
旅行先 : 中国・北新疆地方
 時期 : 2006.6-7.
今回の旅は、シルクロード・天山北路の町・ウルムチから、アルタイ山脈に囲まれたジュンガル盆地の東側を北上、ソ連と国境を接するカナス湖まで行き、折り返して、ジュンガル盆地の西側を南下、天山北路の町・イーニンまで戻るという、辺境・シルクロードの、その又辺境を訪れる旅であった。因みに、西安を発したシルクロードは、ハミでタクラマカン砂漠にぶつかって、砂漠の南・崑崙山脈の北麓を通る西域南道と、砂漠の北側を行く西域北道に分かれる。しかし、北道は、天山山脈にぶつかって、山脈の南・タクラマカン砂漠の北を通る天山南路と、天山山脈の北を通る、天山北路にさらに分れる。三蔵法師一行が辿ったのは、行きが天山南路、帰りが西域南道である。天山北路は、夏の季節だけの道、冬は通行できたかどうか、疑問である。そんな天山北路のさらに北なので、相当な悪路と辺境地帯を予想していたのだが、これが全くの期待はずれ。石油開発のために、道路はよく整備され、大型バスでの快適な旅となった。ただ宿泊施設や食事はいまいち、トイレにいたってはやはり辺境である。
6月24日、午後の便で成田を出発、北京が悪天候のため、乗り継ぎの大幅に遅れ、ウルムチのホテルに着いたのは、翌日の朝4時過ぎ。中国では珍しいことではない。少しホテルで休憩してから、10時半出発。ウルムチ(写真1)から、上海に通ずる高速道路(写真2、3)にでて、天山山脈のボゴタ山を右手に見ながら、ジムサルに向かう。ボゴタ山は西王母の住む山。孫悟空が金斗雲に乗って、助けを求めに行く山である。砂漠地帯に聳える、雪を頂く山が、神々しく見える。この雪解け水で、どれだけのオアシスが潤っているのだろうか。ジムサル郊外の北庭故城と回鶻寺が最初の観光地。北庭故城は三蔵法師が歓待を受けた高昌国の夏の都。でも荒れ果てていて、これといって見るべきものはない。往時の仏教国も、今ではイスラム圏の中である。
ジムサルから五彩灘への道は、予想外の悪路で、到着した時には6時を過ぎていた。でも、緯度が高いことと、北京時間を使っていることもあって、日はまだ高い。強い風のために出来たヤルダン地形は、今回の観光の目玉の一つ(写真4)。でも、期待したほどの風景ではなかった。その往復の悪路からの風景は、荒涼として、三蔵法師の旅を思い起こさせた (写真5)。夕食を終えて、火焼山賓館にチェックインしたのは10時半過ぎ。夕食で飲んだ三台老酒は、高粱で作った42度の蒸留酒。北新疆の名酒だという。安くて旨い。今日は、強行軍であったが、ご機嫌である。
6月26日。赤い山・火焼山(写真6)を後に、半砂漠の中の道を北上、カザフ族の遊牧テントを訪問したり、青天でトイレ休憩をしたりして、金鉱山の開発で出来た町・アルタイ市(写真7)に向かう。半砂漠の中には、ところどころに、85兵団とか201兵団とかいった名の付いた、素晴らしいオアシス村がある。この15−6年間の屯田兵制度の成果らしい。現在の中国は西部開拓の時代。チベットと並んで、新疆や青海省の開発投資に余念がない。アメリカのゴールドラッシュと西部開拓、日本の満蒙開拓。ブームの影で、アメリカン・インディアンや、満蒙人は取り残された人になった。中国新疆の少数民族も同じ運命かもしれない。今日は早くホテルに着いて、ゆっくりする。
6月27日、アルタイ市郊外にあるドラルド岩刻画を見に行く。3000年ほど前の遊牧民が、岩山の岩に刻み込んだ単純な絵。でも、去年は確かにあった岩刻画が、今年はないという。石炭鉱山への道路が出来たために、トラックで持ち去られたらしい。岩山の麓には、豊かな緑の草原(写真8)で、放牧が行われていた。しかし、町の近くに来ると、土塀で囲った畑(写真9)が多くなる。土塀は、放牧の動物達に、作物を荒らされないようにするための、万里の長城。遊牧民と農耕民のせめぎあいの象徴である。時間があったので、ホテルの裏の駱駝山に登って、アルタイ市を鳥瞰する。
6月28日、アルタイ市を後に、半砂漠の道を、カザフ族(写真10)のテントを訪ねたりしながら、カナス湖に向かう。カナス湖自然保護区の入口は、山の一本道の入り口。ゲートが設けられ、一般の自動車、一切入れない。観光客は、ゲートで入場料を払って、観光専用の乗合バスに乗換える。九塞溝方式である。ゲート付近は現在ホテルの建築ラッシュ。来年からは保護区内の宿泊施設が取り払われ、観光客はゲート前で泊ることになるという。雨が降り出した。
乗合バスの最初の観光停車場所、恐竜湾(写真11)では、幸いに雨がやむ。夕刻カナス湖畔にある山荘に到着。湖畔を散歩。
6月29日、遊覧船での観光の後、カナス湖を見下ろす観魚台に登る。此処から眺めたカナス湖は神秘的(写真12)。そして、斜面のお花畑は最盛期(写真13、14)。
カナス湖を囲む森の中には、ジンギスカンの遠征の折に残されたという蒙古人が住む。午後の散歩は、その仙境の住人の一人、叶爾徳西(シエルドス?)さんの宅を訪問、彼の葦笛を聴く。2曲演奏してくれたが、どちらも日本人の心にしみわたる絶品。蒙古人の伝統音楽の素晴らしさに、一同感激する。一本の葦笛で、うなるような低音のベースと、澄んだ高音のメロディが、同時に演奏される。管楽器による、腹話術である。唇の右半分を震わせて、ベース音を出す一方で、唇の左半分固定して、歯の隙間から強い息を出して、高音部を吹いているらしい。息子さんが練習して、5年以上にもなるが、まだ吹けないとか。同じ69歳とあって、記念撮影(写真15)。葦笛の演奏に先立って、彼の娘さんが、歓迎の唄を歌いながら、馬乳酒を勧めてくれた。この馬乳酒、昔のどぶろく風と違って、蒸留をした透明の酒。アルコール度は16度で日本酒並みだが、そんなに強くは感じない。帰ってからロッジで注文したら、大きなヤカン一杯で40元(600円)。甕から出してきた直後で、冷酒に近い。Kさんと二人で飲み干した。
 これに味をしめ、セリム湖のロッジでも、馬乳酒を注文してみた。でも、ここでは甘酒風の濁り酒。アルコール度も、ビール並みの4−5%。チョット塩気がある。こちらは、まずい。半分以上残して、部屋からウィスキーを持ち込んだ。濁り酒を飲んだ翌日には、チョット下痢気味になった。僕は牛乳でも下痢気味になる男、馬乳も同じなのだろう。蒸留した馬乳酒は問題がない。
6月30日。カナス湖畔から、ジュンガル盆地の西端を南下、油田開発で出来た町・カラマイに向かう。砂漠の中の道の両脇には、無数の小型採掘ポンプが並ぶ(写真16)。かなりの重質油らしい。砂漠の中を、タンク車を長く連結した、ジーゼル機関車が走って行った(写真17)。この油田で採れた重質油は、タンカーやパイプラインではなく、鉄道で運ばれるのだろうか。採掘方法といい、輸送方法といい、経済的な非効率は避けられない。中国が、中東の原油の買い付けに動いている理由がわかったような気がした。
魔鬼城(写真18)は、ジュンガル盆地の西端の油田地帯にあるヤルダン地形。24日に訪れた五彩灘は、盆地の東端の油田地帯のヤルダン地形。断層の色以外は、よく似ている。強い風が吹くと、この特殊な地形が、魔人の声のような、不気味な音を立てるという。その荒涼とした風景の中に、赤く目立つものがあった(写真19)。思わず、手塚治虫の「ガデム」を思い浮かべた。普段は2本足のロボットが、合体してムカデ型ロボットになり、大暴れする漫画である。赤い石油採掘ポンプは、これから設置されるのだろうか。一つ一つの石油採掘ポンプ容量は、わずかな物でも、それが合体すると大きな力を発揮する。中国らしいと思った。魔鬼城の入口付近には、紅柳が咲いていた(写真20)。
7月1日。カラマイからセリム湖400キロ。荒野を走る。セリム湖は、期待に反して、平凡なところ。でも、行ってみないとわからない。
7月2日。セリム湖から、イ−ニンへ。イリ条約で有名なこの町は、中国の西域経営の要衝。博物館や恵遠城鐘楼などを見物。
7月3日。イーニンからウルムチに飛び、さらに北京に入る。北京で一泊しないと、東京に帰る便の、乗継が出来ないとか。やっぱりシルクロードは遠い。7月4日午後成田着。
旅行写真
魔鬼城
魔鬼城

No.1
ウルムチは近代都市
ウルムチは近代都市

No.2
高速道路
高速道路

No.3
道路の砂よけ
道路の砂よけ

No.4
五彩灘
五彩灘

No.5
荒野の夕日
荒野の夕日

No.6
火焼山
火焼山

No.7
新しい町・アルタイ
新しい町・アルタイ

No.8
放牧地帯
放牧地帯

No.9
せめぎあい
せめぎあい

No.10
カザフ族
カザフ族

No.11
恐竜湾
恐竜湾

No.12
カナス湖
カナス湖

No.13
カナス湖のお花畑
カナス湖のお花畑

No.14
花の道
花の道

No.15
葦笛
葦笛

No.16
油田
油田

No.17
北新疆鉄道
北新疆鉄道

No.18
魔鬼城
魔鬼城

No.19
ガデム
ガデム

No.20
魔鬼城の紅柳
魔鬼城の紅柳

No.21
セリム湖畔
セリム湖畔

No.22