メッセージを送る 
ソコトラ島紀行
旅行先 : イエメン共和国・ソコトラ島
1)ソコトラ島

今回のイエメン旅行の最大のお目当ては、ソコトラ島で、珍しい植物を見ること。なんでも、珍しいものを見るのが、好きな僕。ガラパゴスや、マダガスカルに出かけたのと同じである。

ソコトラ島は、インド洋上に浮かぶ孤島。アラビア半島の南方海上950キロ、ソマリア半島の東方海上240キロ位置する。緯度的にはバンコクやマニラとほぼ同じだが、砂漠に近い乾燥気候。しかし、埼玉県程度の大きさの島の中央には、標高1600メートルのファイジャル山があり、東西に長い山岳地帯が、インド洋とアラビア海の間に立ちふさがり、海上から吹き上げる雲が、山に当たって雨を降らす。それが、特異な植物の発展を促した。

紅海につながるアデン湾の入り口に位置するところから、10年ほど前までは、軍事基地があり、立ち入り禁止。でもイエメンの観光促進政策のおかげで開放された島。ホテルはまだ未整備だが、それだけに自然が残っている。

イエメンの首都・サアナのホテルを、ホテルを朝の2時半に出発、5時発のイエメン航空428便でムッカラを経由してソコトラ島へ。飛行機は7時50分に到着したのだが、荷物がなかなか出てこない。結局、ソコトラのホテルに着いたのは9時半。
ソコトラの人口は2−4万人、正確なことは判らないらしい。自給自足が原則で、現金収入は殆どない。一日1−2便の飛行機到着時の、ポーター役が貴重な収入らしい。村人達が争って、空港の入り口に殺到する。それを制止する係官。

我々のランクルのドライバー達は、島のエリートらしい。1号車のドライバーは、現役の情報将校のアルバイト。そのほかも、自分の車での自営業者とか。
奥さんを二人持つドライバーが、此処にもいた。彼が運転していると、2−3時間おきに携帯電話がなる。奥さんからのラブコール。イエメンでは、離婚は簡単。結婚できるような収入のある男性は少なく、たとえ、二人目でも、結婚できたら幸せらしい。若い奥さんは、旦那の愛を繋ぎとめるために、大変な努力をしているように見えた。

イエメン本土の言葉は、イスラム教と同時に入ってきたアラビア語に変わってしまったが、このソコトラ島では、まだ、シバの女王時代の古代南アラビア語である、ソコトラ語が話されているという。イエメンの中でも、孤島である。
我々は、この島で、3泊4日を過ごした。

2)珍しい植物

ソコトラ島といえば竜血樹。マダカスカルのバオバブにも匹敵する珍樹である。竜血樹の樹皮を傷つけると、赤い樹液を出す。竜の血の様だというのでこの名前がある。今でも天然のピンクの染料として、使われているらしい。
そんな竜血樹に初めて出会えたのは、島の中央の山岳地帯の峠の頂上付近。下は快晴なのに、海から吹き上げる湿気のために、峠の辺りは、雲で霞んでいた。そんな環境が、この木に良いらしい。
赤茶けた岩砂漠に近い峠の頂で生きてゆくためには、空中からも、湿気を補給しているのだろうか。唐傘を開いたような形の大木が、山の稜線に沿って並ぶ姿は、詩情をそそる。日本のように湿潤な地方の木は、密生して森林を作る。しかし、乾燥地帯では、水分が足りないので密生できない。広く、深く根を張って、勝ち抜いた木だけが生き残る。竜血樹は、数百年の生存競争に勝ち抜いてきた木である。
密生した木は、光を求めて、上に伸びてゆく。しかし砂漠の一本木には、その必要がない。広く枝を張って、日陰を作ることこそ、重要である。竜血樹は上に開いた唐傘で、日陰を作り、自分の根のあたりの土からの、水の蒸散を少なくしている。
竜血樹の谷と呼ばれる場所にも行った。地球の割れ目とでもいえるような、深い谷に沿って、竜血樹の並ぶさまは壮観と言う意外にない。底の見えない断崖絶壁が、上昇気流を生む。此処でも、深い地球の割れ目から吹き上げる風が、竜血樹あたりに、靄をかけていた。

幹ばかり太くって、先にほんの少し葉をつけた、変な形の木が、山の中腹の斜面に、点在する。ボトルの木と呼ばれるもので、その太い胴体は、水を溜め込んでいる。
土の殆どない岩場の斜面は、保水力がない。雨は降ってもすぐ流れてしまう。ならば、雨が降った時に、水を十分に吸って、貯めておき、乾燥に耐えようという、この木の環境適応である。
木の胴を叩くと、太鼓のような様な音がする。切ってみると、中は空洞で、水が溜まっているという。木の胴の太さは、その土地の、乾湿の差の大きさによるらしい。比較的水が頻繁に、水が流れてくる谷間では、ボトルの木は、スマートに真直ぐ伸びていた。山の斜面では、幹が太く、先が細い三角形。そして、山の上の水溜りのできる場所では、まさにビアダル・スタイルの幹である。
このボトルの木に花が咲くのは、10月だそうだが、我々は2月だというのに、狂い咲きを見つけた。土の表面に、泥が沈殿・乾燥したあとがある事からすると、此処は水溜りのあった場所。つい最近まで、水があったのではなかろうか。花を咲かせるトリガーは、乾燥かもしれない。この花、なかなか美しい。

「乳香」という言葉を聞かれたことがあるだろうか。エジプトを旅行された方なら、ハトシェプスト女王の葬祭殿を訪れたときに、「乳香」の話を聞かれたに違いない。
紀元前15世紀、今から3500年も昔、エジプトの女王は、アラビア半島に、乳香を求める使節団を送った。その凱旋の様子が、女王の葬祭殿の壁面を飾る。
旧約聖書にでてくる、ソロモン王と、シバの女王の話でも、女王から王への貢物の第一は、乳香である。当時は、金銀財宝よりも尊いとされた乳香。アラビア半島南岸地区で産する樹脂である。牟田口義郎さんの『中東の歴史』(中公新書)によると、古代オリエントや、ギリシャローマでは、乳香は葬式や悪魔祓いの儀式の必需品だったという。この樹脂を燃した煙は、芳香を放って、死体の悪臭を消すと同時に、人々を恍惚状態にする。お線香と同じような働きらしい。支配者の周りには、宗教的権威を保つために、高価な、乳香が焚かれた。しかし、キリスト教やイスラム教が、普及すると、乳香の権威は失墜し、平凡な香料になった。それは、繁栄したイエメンの没落の原因でもあった。
その乳香の木が、ソコトラ島にもあった。その樹脂は、今でも生産されてはいるが、お土産屋で売っている、安い香料の一種である。現地の旅行会社から、タダで貰った乳香。石鹸のようなにおいがする。

3)珊瑚と海岸

ソコトラ島の面白さには、その海岸線の変化がる。

アラビア海に面したホテルから、南に進み、竜血樹のある山を堪能したあと、さらに、南に進んで、インド洋に面する海岸に出た。白い砂丘のかなたに、エメラルド色の海が見える。この白い砂丘は、まさに雪景色そのもの。でも、それは紛れもなく、熱帯の砂丘。遠くに見える椰子の木が、それを証明している。砂丘の風紋は、砂漠を思わせる。
我々は、椰子の木陰で、着替えをして、砂丘を横断、誰もいない海に入った。高さ1メートルほどの波が押し寄せ、膝までの深さでも、波が来たら背が立たない。岬のほうに流れる底流も強い。遠くから見ると、穏やかな遠浅の海だが、沖に泳ぎ出るのは、自信がもてない。岸に上がると、荷物を置いた場所から、だいぶ流されていた。
水遊びしたあとの、ピクニックランチは、木陰の小屋で、車座になって歓談。ホテルから持ってきたランチに、添乗員が持ってきてくれた、インスタント五目飯。ドライバーが作ってくれた、ソコトラのスープ。なかなか美味しい。5号車のドライバーの本職は、コックさんだとか。

翌日は、ホテルから、西に進んで、アラビア海側の白浜に出かけた。
島の西端の漁村、クアランシアでは、ボートに乗る予定であったが、風が強く波が高いので、砂浜で漁師の投網の実演を見せてもらう。
漁村のある浜辺から、突き出た岬の途中のコル(鞍部)を抜けると、そこには、思いがけなく美しい風景があった。白い砂浜に、エメラルドの海、押し寄せる波。風の強さが、波を美しく見せている。砂浜に降りて、始めて判ったのだが、これは干潮のときにだけ現れる風景。白い砂浜は、まだ十分に湿り気を帯びていた。満潮の時には、岩だけの海岸である。岩陰で着替えて、お決まりの海水浴、風は強いが、インド洋側ほど波がきつくない。そして水遊びのあとは、ピクニックランチ。エジプト禿鷲が、空に舞っていた。
この岬には、海に筒先を向けた戦車が3台。まだ新しいのに、砂に埋もれていた。かつて、南イエメン人民共和国だった頃に、アメリカ軍の上陸に備えての軍備らしい。でも、写真撮影は、一応遠慮しておいた。

島の中ほどの、アラビア海側は、珊瑚礁。干潮だけの白浜で泳いだ後、帰り道で、立ち寄ったデハムリの浜は、波打ち際を除けば、すべて、珊瑚と貝殻で埋め尽くされていた。僅かに、その名の由来である、赤茶けた石が見える。
ここの海は、ダイビングの天国。シュノーケリングに来る若者が、最近増えたと言う。彼等が珊瑚や貝殻を持ち出し始めたので、島では慌てて、監視人を置いて、この世界自然遺産の保護を始めた。ソコトラ島空港の荷物検査では、貝殻や珊瑚や、石や砂などが見つかれば、すべて没収である。まだ罰金はないが、いずれ導入されるだろう。
写真を撮るために、大き目の貝殻を集めていたら、早速、監視人がやってきた。写真だけだと説明すると、彼も貝殻を集めてくれた。彼と仲良しになって、記念撮影。
デハムリの珊瑚の浜辺は、打ち上げられたものでなく、地殻の隆起によって出来たものに違いない。地球の歴史を語る、貴重な証拠である。

万年、億年単位で、地層を見ると、その変化の大きさに驚かされる。ヒマラヤで、貝の化石が見つかる。昔は、ヒマラヤが海の底であった証拠である。
ナショナル・ジオグラフィックの付録についていた、地球の割れ目の地図をみると、日本はいずれ海に沈没する島だが、ソコトラ島はさらに隆起する島である。
ホテルの付近の浜辺で、その証拠を見つけた。人が歩いているあたりは、すべて珊瑚で出来た岩。その岩の断面を眺めると、良くわかる。島が隆起して、珊瑚が海面上にでて、その隆起した珊瑚の中程のところが、新しく波で削られて、洞穴のようになっている。
波打ち際の辺りは、まだ新しい珊瑚の墓場。表面が削り取られて、苔のようなもので覆われている。大きな貝の化石。口を開けたまま、土に埋もれている。こんな形が残るのは、隆起が急激に起きたに違いない。

4)島の食事

朝食も夕食も、ホテルの庭で、イスとテーブルに座って食べる。
テーブルの下には、時々山羊がもぐりこんできて、我々が手を拭いた、ティッシューをねだる。柔らかくって美味しいらしい。

朝食はいたって簡単、ホブスといわれるインドのナンに似た焼きパン。焼きたては美味いのだが、冷めるとダンボールみたい。山羊の乳からのチーズと、蜂蜜が付く。お昼のピクニックランチは、チキンやバナナ。夜は魚が出る。ソコトラ最後の夜は、このあたりで捕れるというロブスター。とにかくでかい。僕が今までに見た最大の大きさ。ひげの先から尻尾までなら、1メートルはある。ワインがないのが残念であった。トマトやバナナは、新鮮で美味しい。日本で食べるのとは、味に格段の差があった。

面白いことを発見した。この島には、猫はいるが、犬がいない。山羊はいるけど、羊はいない。エジプト禿鷲はいるが、カラスはいない。犬がいないので、島は山羊の天国。野生の山羊もいるが、殆どは放し飼いらしい。この山羊と禿鷲が、町の掃除屋さん。山羊のおかげで、紙くずは落ちていない。中でも、ティッシュ・ペーパーは、大好物らしい。ダンボールと格闘している山羊も見かけた。動物性の生ゴミの処理は、禿鷲の役目。植物性の生ゴミ処理は、山羊の役目である。

ホテルの食事の後片付けはいたって簡単。まず従業員が、残飯をテーブルの上にぶちまけ、皿とフォークなどを回収。薄いポリエチレンのテーブルシートの両端を持って、ゴミ処理場に運んで、テーブルシートをはずす。そこへ山羊さんと禿鷲君のお出まし。食べるものが違うので、山羊と禿鷲は仲良く一緒。10分もしない間に、残っているのは空き缶だけになった。それを回収したら、後片付けは完了。
中には、客が席を立つと、テーブルの上に登って、皿から直接食べる山羊もいる。従業員は、それを止めない。止めるのは、客がまだ席にいるときだけ。山羊もそれをよく知っていて、客の動きを見守っている。


旅行写真
竜血樹
竜血樹

No.1
竜血樹(2)
竜血樹(2)

No.2
竜血樹(3)
竜血樹(3)

No.3
竜血樹(4)
竜血樹(4)

No.4
ボトルの木(1)
ボトルの木(1)

No.5
ボトルの木(2)
ボトルの木(2)

No.6
ボトルの木(3)
ボトルの木(3)

No.7
ボトルの木(4)
ボトルの木(4)

No.8
乳香の木
乳香の木

No.9
白い砂丘
白い砂丘

No.10
干潮だけの白浜
干潮だけの白浜

No.11
珊瑚の浜辺
珊瑚の浜辺

No.12
珊瑚礁の貝殻
珊瑚礁の貝殻

No.13
島の掃除屋さんたち
島の掃除屋さんたち

No.14