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王宮
現在、タイ国王は住んでいませんが、今も昔も変わらぬ崇高な姿を誇るのが、王宮です。
チャオプラヤー川沿いの東岸に位置します。
白い壁に囲まれた20万平方メートルの敷地内に、いくつもの宮殿と王室の守護寺であるワット・プラ・ケオが建っています。
18世紀(1872年)に、ラマ一世が建設に着手していて以来、増築を重ね、現在の形になったといわれます。


ラマ一世は、現在のタイ王朝の始祖となった人です。
現在、エメラルド寺院に納められているエメラルド仏は、もともとラマ一世がラオスのヴェンチャン遠征から持ち帰り、暁の寺として知られるワット・アレンに安置したのが始まりです。
ワット・アレンはアユタヤ王朝時代に創建され、トンプリー王朝の守護寺院となった寺で、チャオプラヤー川の西岸に位置します。
その後、ラマ一世がチャクリー朝(ラタナーコーシン朝)を興し、王都はチャオプラヤー川の東岸へ遷都され、守護寺院も東岸のワット・アレン(暁の寺)から、西岸のワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)へ移されることのなったのです。


ラマ一世のチャクリー朝の前、タークシン王のトンプリー王朝の都は、ワット・アレンと同様チャオプラヤー川の西岸に位置しました。
しかし、当時この一帯にはビルマの攻撃が迫っていました。
ビルマは、タイのアユタヤ朝を滅亡に追いやった強国です。
タークシン王のあとを受け継いだラマ一世が都を現在の位置、チャオプラヤー川の東岸へ移したのは、ビルマ軍の攻撃を防ぐためだったのです。
当時バンコクは、住宅環境があまり良いとはいえない状況でしたが、新都の西側に流れることになるチャオプラヤー川と、東に広がる低湿地が都を守る自然の城郭となると考えられたのです。


人びとは、この新都を「クルンテープ(天使の都)」と呼ぶようになったといいます。



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