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王宮の見学 チャクリー宮殿の歴史
トンプリー王朝のタークシン王を継ぎ、チャクリー王朝を興したラマ一世は、ビルマ軍の攻撃から都を守るためにチャオプラヤー川の東岸に新しい都を建設しました。
ラマ一世の国づくりの理想は、アユタヤ王朝にありました。
バンコクの北方75キロメートル、現在車で1時間ほどのところに位置し、ビルマに滅ぼされたかつての王朝です。
王宮も、アユタヤ朝の王宮を模しています。


正門(北門)は、ナ・プラ・ラーン通りに面しています。
正門の名称は、ウイセートチャイシー門です。
中に入ると、緑の芝生が目に入ります。
その向こう、正面奥、敷地のほぼ中央にそびえるのが、チャクリー宮殿(チャクリー・マハ・プラサート宮殿)です。


淡いピンクの大理石で造られた壮麗なビクトリア様式のファサードにタイの寺院建築特有の何層にも重なった尖塔を載せたその独特の様式は、タイ様式と西洋様式の折衷の様式です。


この宮殿は、ラマ一世による建築ではなく、19世紀(1876年)チャクリー王朝100周年を祝い、ラマ5世によって建設が始められたのです。
ラマ5世は当時、イギリス人の建築家にルネッサンス様式で建てるよう命令したそうなのですが、途中でタイ様式も採り入れようということになり、その結果、現在のようなタイと西洋の折衷様式となったのです。


バンコクの抜けるような青空を背景に、王宮のほぼ中央に威容を誇るその姿はこの王朝のたどってきた歴史を反映した、一種、不思議な景観を生んでいます。




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