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バブー・バーバルヤマン(イエメン門)
バブー・バーバルヤマン(イエメン門)

タイトル  バブー・バーバルヤマン(イエメン門)
目的地 アフリカ・中東 > その他の国・地域 > その他の都市
場所 サナア
時期 1996 年 5 月
種類 景色
コメント 「また、いつものビール?ハイネケンね・・・」
すっかりお馴染みさんになっていた赤いベストを着た黒人ウエイターがニヤリと微笑みながら言う。
 サナアのプールサイドにいる。
日中の最も暑い盛り、ここにいるのは、いつも私と彼ぐらいだった。
私はプールサイドのチェアーにもたれかけたままで、喉を潤す時のみ、プールサイドの片隅に観葉植物のようにそっと佇む彼に用事を言いつける。
そのやりとりが、今日だけでもう数回繰り返されていた。
「いいや(笑)、今回はウオッカにしようかな。ソーダも頼むわ」
「はいな、ウオッカね。それはいい考え。体にいいよ」
ほんまかい(笑)
彼はおどけながら、バーのある建物へ入って行った。
 砂漠を横断して、再びサナアへ帰ってきた_____。
空はどこまでも青く、歪さがなく、空気も濃縮している感じだ。
正面のジャカランダの木には枯れかかった紫の花があった。
ここにいると、異国にいながら、またどこか別の世界に戯れることができる。
プールがあるこの庭の四角い世界だけを切り取れば、アラビアンナイトのおとぎ話を具現化したような、
このサナアの町にいることを誰が信じようか?
灼熱の太陽までもが、ここが砂漠のど真ん中ではなく、南洋のリゾート地にいるような夢心地にしてくれる。
しかし、この閉ざされた世界にもアラビアンナイトのヒントは否応にも投げかけられる。
ホテルの土塀から、古めかしいバイク音やリズムを打ったようなアラビア語が届いてくるからだ。
そしてもうすぐ正午だ。街のいたるところでロケットがそびえ立つような独特のミナレット(尖塔)のスピーカーから、ムスリム(信者)に礼拝を呼びかけるアザッーンがけたたましく鳴り響くことだろう。
アラビアンナイトの世界へ否が応でも引き戻されることになる。
そして、よくよく耳をすませば、ひとびとのざわめきが、イエメン門の広場の喧騒まで運んできそうだった――――。

――――バブゥ・バーバルヤマン(イエメン門)の前はすごい人だかりであった。
次々と門から吐き出され、また逆に吸い込まれていく人々の流れがあった。
門の前には露店市が立ち並ぶが、その店も怒涛のように押し寄せてくる人並みに飲み込まれそうだった。
圧倒的な群集にもまれながら、しかも圧倒的な喧騒をはらみつつ、中世のアラビアンナイトの世界そのままの旧市街への入り口イエメン門をくぐってみよう―――。
今日は4月27日―――。
明日は28日はイスラム教徒にとってイスラム教徒にとって、ラマダン明け(断食解禁日)の大祭の次に大切な「犠牲祭」の初日であった。

―――28日の早朝、小高い丘に位置するホテルから来たの岩山に向かう道路を散歩していた。
丘のあたりからサナアの旧市街を眺めることができるためだ。
頂上に近づく頃、南西の旧市街の方角からヘリコプター3機が低空飛行して向かってきた。
どうも軍用機みたいだ。
けたたましい轟音に立ち尽くすのみであった。
そして、一瞬にして凍りついた。
なんとヘリコプターからロケット弾が発車されたような爆音が岩山で起こったのだ。
私は思わず頭を抱えてアスファルトの道に座り込んでいた。
頭のなかを駆け巡ったのは、2年前の1994年、南北イエメン統一後の内戦であった―――。
イエメンは第一次世界大戦前に、オスマントルコとイギリスにより南北に境界線が引かれた。
第一次大戦後、駐留していたオスマントルコ軍はイエメンから撤退したが、その後も相次ぐ内戦の混乱により、つい最近まで「イエメン人民共和国(南イエメン)」と「イエメン・アラブ共和国(北イエメン)」の二つの国に分かれていた(パレスチナやアフリカのみならず、このアラビア半島の砂漠の地でも植民地政策による混乱があるのだ)が、1990年の「ベルリンの壁」の崩壊という世界のうねりのような潮流に飲み込まれるまたちでイエメン統一がなされた。
しかし、統一後の相互にくすぶりつづけていた経済的政治的不満が爆発するかたちで、内戦が勃発した。
この内戦はサナアを中心とした旧北イエメンが勝利を治めるかたちで3ケ月ほどで終結。
その後は、政情は安定しつつあると見聞していた。
だからこそ、こうしてこの地を観光目的で旅ができるわけだったのだが・・・・・・。
しかし、完全には安定していないことぐらいは容易に想像もつくわけで、軍用機の飛来とくれば、―すわ、また戦争か?!―と、脳内アドレナリンが急上昇するのもご理解いただけるだろう。
ヘリは1発の爆音を手土産に(?)丘の稜線からやがて消えていったようだ。
私は座り込んでいた体がどこか自分の体でないような心地がしながら、慌ててホテルへ引き返した。
玄関のベル・ボーイがさきほどと同じように微笑む。
「サラーム・アレイコッム(あなたに平和を)」
「へ、平和じゃないよっ!!聞いたでしょ?今の音を聞いたでしょ?」
私は言葉にならないような言葉で彼にたたみかける。
やせぎすなイエメン人が多いなかにあって、恰幅のよい彼は、朝日がさしてきらめく銀色のジャンビア(アラブ独特の短剣)の鞘をなでながら、気が動転した私の形相のほうが驚くという態度だった。

バーバルヤマンに話しを戻そう――――。
サナアの街は城壁が囲んでおり、外部から出入りするのにイエメン門をくぐることになる。
何故、町が城壁に囲まれているのかは、当地の歴史、風土、伝統文化などに疎い私でも想像できる。
敵が攻めにくいから?当たり前のような話であるが、続きがある。
旧北イエメンは部族社会が基本だ。
これは、現在でも厳格に現存するもので、この国は山岳地帯がほぼ全土を占め、各部族は山の頂上などに部落を形成している。
山岳地帯で村を形成するということは、どうしても部族間の交流は疎遠になりがちで、お互い自立心が旺盛になり、悪くいえば外部に対して懐疑心が強くなる。
もっとわかりやすくいえば、戦闘的になる。
しかし、サナアほどの都市となると、部族間のみならず外国人なども混じってのコミュニティを形成しなければならず、まず都市としての機能を果たさなくてはならない。
が、どこの世界にも富が集中すれば外敵は存在する。
そのため、城壁で囲み、バーバルヤマンなど一部からしか出入りができないようにしてある。
その昔は、日没後には門は固く閉じていたという。
もちろん、現在では門は開いたままだ。
門をくぐり、中世のアラビアンナイトの世界のままといわれるイエメン旧市街をタイムトラベルしてみよう――――。



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