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フェズの子どもたち
フェズの子どもたち

タイトル  フェズの子どもたち
目的地 アフリカ・中東 > モロッコ > フェズ
場所 フェズ
時期 1992 年 7 月
種類 景色
コメント −フェズメディナ・フェスティバル2−                                                     

「ねえ、ジャッキーチェン、カラテ教えてよ」
「なんで?ねんで?できないの?」   
「ヘイヘイカラテマン、あんたチーナだろう」
「なんでもいいからアソボウヨ」     
タヌリ見学を早々に退散したあと、ようやくこの迷路のメヂィナを我が物顔で(自
分のペースで)歩けるようになったかと安堵の胸をなで降ろす間もなく、こんどは
無邪気さを上塗りした様な子供たちに囲まれ、歩くペースはもろくも崩されていく
のだった。 
私はこの町フェズの創始者ムーレイ・イドリスを祀っているムーレイイドリス廟
や、タイルモザイクの泉があるネイジャリン広場。はたまた最も古いケロアン人の
モスクや、北アフリカ最大のカラウウィン・モスクを巡りたかったのだが、大きな
人の流れにまかせて、路地を行くうちに何処にいるのかさっぱりわからなくなって
いた。       
その間、美しいタイルが敷きつめられたお清めの噴水で水浴びをしている子供や老
人を門からみることのできたモスクなど何箇所かそれらしきものは見てきたのだ
が、もはや何が何処だったかはさっぱりわからない。
もしかして見てきたのかもしれないし、また見てないのかもしれない。     
しかし、そんなことはもう、どうでもよかった。               
このフェズ・メディナを歩くこと自体が最高のエンターテイメントをみせてくれる
のだ。 
どこにいるのかも、もはやどうでもよかった。                
あの、なめまわすようなマラケシュでの視線、興味本位丸だしこの町の視線・・こ
の国での様々な視線の洗礼にさらされていくうちに、私はもうこの「地」を自分の
ものとして獲得していたのだった。                     
今、私はお互いの損得や商売とは関係なく子供たちと戯れているのだ。     
何かふっきれたような私の顔つきが、これまでと違ったモロッコの顔をみることが
できたのかもしれない。
私がようやく「健康」になった証だった。       
「ジャッキーチェン、カラテ教えてよ。」                  
−これこれ、ジャッキーはカンフーだろ?−「アチョーイヤー」        
私は知りもしない空手の型(風)を演じていた。               
それはびっくりするくらい自然にでていた。                 
子供たちの邪心のない輝きに満ちた瞳をみて、なごまぬ人はいないだろう。   
無藐な砂漠をみつづけてきた私にとっても、何よりのオアシスであった。    
3歳から10歳くらいまでの子供たちは、私の奇妙な演劇を大喜びして、あちこち
散っては、またその数がどんどん増えていった。               
子供たちは5・6才から10才くらいまで午前中、学校へ通う。        
午後からは大抵の子は親の仕事を手伝う。                  
学校といっても読み書き算盤を習うのではない。               
習うのはコーランである。                         
生活のありとあらゆる規範を書き留めてあるコーランを暗記するまでになる。  
その上の学校では(日本でいえば中学校くらい)裕福は子女のみの世界で、文盲率
が高いのは他の第3世界と同じである。                   
しかし、大半が農業に従事し、幼少のころより父、母の仕事を手伝いながらこども
達はそれなりの経験や智恵をつけていく。                  
何よりこの国ではコーランがあれば人は生きていけるし、人と生きていける。  
そして明日をみつめるより今日を生きていかねばならないのだった。      
ところで、カラテの型にも少々飽きてきた、次はウエーブをしよう。      
サービス精神が旺盛なのはもうすでにハイなっている証拠だ。こども達はフェズメ
ディナの少年少女合唱団が結成できるくらいの数にふくれあがっていた。    
「ワーヘド、ジューシー、タラータ、いくよはいっ!」            
子供たちに座れと座れと手振りで伝えて勢いよくジャンプして伝えた。
子供たちも真似て、歓声が湧き起こった。                  
あ、いつの間にかさっきの「ビンボーヤポンの財布売り」もいた。
別人のような愛くるしい顔で子供たちに混ざって遊んでいる。 
・・・・・財布買おうかな?           
この後、結局出口が分からなくなり、この男の世話になる羽目になった。    

私は即興のフェズメディナのフェスティバルを忘れまい。           
この後いかなる失望と渇望のさいなまされる人生の道ゆけども、この輝ける光に包
まれた子供たちの無邪気な笑顔を想いおこそう。               
ともに撮った子供たちのなんと無垢で喜びに溢れた笑顔だろう。        
出会った子供達を思いだそう。
そして、私も彼らと同じ年頃があったことを思いおこそう。                                       

 子供たちとなごりおしく別れを告げ、それでも何人かにいつまでも見送られ、メ
デルサ(神学校)の中庭に一人立っている。                 
いつのまにか西日がさすような空模様に変化していた。
茜色の空は、祈りを生む。   
時せずして、礼拝を告げるアッザーンが響きわたりだした。          
−アラッー・アクイバル・・・
−美しい調べは、静謐を生む。            
ここにはメディナの喧騒は届いてこない。                  

 帰国後一週間して私宛に絵葉書が届いた。切手には「フェズ」と刻印がある。 
−フェズに来ました。フェズメディナは最高のエンターテイメントを見せてくれま
す。  
子供たちがとても可愛らしい。HAVE A NICE TIME−−       
私がフェズで投函した葉書だった。 

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