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ミクロリマーノ青空に
ミクロリマーノ青空に

タイトル  ミクロリマーノ青空に
目的地 ヨーロッパ > ギリシャ > その他の都市
場所 ミクロリマーノ
時期 1993 年 10 月
種類 景色
コメント ――beyond the blue sky――
  
  ―青空の向こうに―

 
 こんな素敵なタイトルがついた、そして吸い込まれるような青空の封筒の素敵なお手紙をいただきました。
かれこれ昨年の2月、メニュウにも書いてます「いつのときにも青、微動だにしない青」という自作詩のイメージからリンガラ音楽を紹介しつつ「自由」について書き綴っていた頃(アタシって天才??と、手帳の絶頂期でありました)にご縁でお知りになった方からです。
その手紙の送り主と来るべき手紙を私が待ちわびつつも、忘れかけようとしていた今日この頃でありました。
 さて、手紙へのお礼と遅延への少々の嫌味のメールを差し上げたところ、、、私自身の誤解の氷解と心のこもったありがたい内容の文章のメールの返信とともに、その方からはなんと2度目の郵便音信である事実を知りました。
不着と消失といういずれかの問題は解決してないことへの動揺はもちろんのこと、私はいたたまれない気持ちで一杯でした。
慌てて再度メールをお送りし、あいかわらず彼女は微笑みの伴ったメールを下さりました。
なんと私は不誠実で矮小なのだろう。
なんと私は身にまかせたままの感情的で、そして彼女はまさしく空を抜けるような理性を持ち合わせているのだろう。
なんと私の世界は小さく、そして彼女は海のように広い視野をもった世界だろう。
 私は彼女が体調不全なときお見舞いの言葉もかけず、彼女が頑張っている姿に応援の声をかけることもせず、ただたんに暗室で拗ねている少年であったのだ。
大切な友――――胸に痛く刺さり、また同時に暖かく響く。
私は母性そのもののような、ミューズ(女神)のような彼女に、一歩でも近づけるように、歩んでいきたい。
歩みよるのではなく、一歩一歩私の目の前を歩んでいきたい。
そして、正対して堂々と声をかけるのだ―――。

「同じ空を見て、同じ気持ちになりたい」

(注:これも封筒に書いてあるタイトルです笑)


幸せ帳の残照―――

 
 今回、手帳を書き始めて以来、はじめて私心とまさしく彼女に宛てた手紙のような手帳になりました。
今日もリンク「フンコロガシの旅は青空」からお届します。
今のような心境と重ね合わせて自分も何回も読み直してみました。
私自身への諌めのコトバでもあり、彼女に捧げたいです。

ありがとう、と一緒に。

Mさんへ――

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アテネ郊外のエリニコン空港ビルを出ると、目の前に紺碧の海が広がっている。

ああ、ギリシアへ来たのだな、誰しも実感するだろう。
8月の日差しは強いというより、痛いくらいだが、そよ風が頬にやさしい。

 アテネの中心地シンタグマ広場までバスがでている。
道路沿いでみかける看板は独特のギリシア文字で旅愁をそそられる。

 アテネに入ると、何処からでもシンボル、アクロポリスの丘を眺めることができ感慨もひとしおになる。
土地の人々の顔は、どこか憂愁に満ちた印象を受けるが、ヨーロッパからの観光客は皆、活気に満ち溢れている。夏になると、アテネは他国人の国に模様替え。

 シンタグマ広場から黄色のトロリーバスに乗り換え、ペロポネソス駅へ。
この駅からペロポネソス半島の玄関、コリントスへ向う予定だ。
出国前、買い求めたトーマスクックの時刻表では午後1時32分発となっていた。
バスが駅前に着いたのが午後1時。
充分、間に合う時間だ。
 しかし、駅構内の黒板の時刻表は、なんと3時2分発となっていた。
高ぶるギリシア入りが一気に萎えた気分だったが、キオスクでギリシアのドブロクであるウゾを買い求め、水で割りながらハムサンドをつまみにして時間つぶしをした。
目の前を通りすぎる人々を眺めながら、かくも私の時間は優雅に流れるのだろうと、酒の力もあり、一人心地にいた――。
 
 ――ホームに立つこと30分――。
プラットホームには観光客や買い物帰りのような地元民でごったがえしている。
 そして、すでに3時30分を針がさしてもいっこうに汽車は来ない。
これが、噂に聞いたギリシア国鉄のギリシアタイムなのであった。
コリント遺跡は5時に閉館する。
イライラしつつもう観念したころ、ようやくペロポネソス半島行き列車は、あざ笑うように滑り込んできた――。

 コリントスは古代より、西にサロニコス湾、東にコリント湾に挟まれた重要な通商都市であった。
1893年、開通したコリント運河は有名である。
現コリントスは旧都市から8キロ離れた海に面した静かなたたずまいをした町だ。
遺跡を見学することは適わなかったが、自転車遊びをしていた小さな子供達と仲良くなり、海辺で夢中に遊んでいるうちに、アテネへ帰る時間になった。
1番大きな女の子はキオスクで私にポテトチップスをご馳走してくれた。
彼ら彼女らも私が生きる、生きていく証しとなる大切な友人だ、今でも――。
 
 当地の時刻表では、7時ちょうどに列車が来る予定だった。
が、定刻に来たりはしない。
 
 でももう、イライラしたりはすまい。
ギリシアにはギリシアの時間が流れているのだろう。
せっかちに暮らしていた自分のネジのほうが少し曲がっていたのかもしれない。
それの意味するところは・・・・。
「――私は私しか見えてない――」ということだ。
想像力を働かしてみよう。
そして、待つ、のではなくあの沈み行く夕日を眺めているのだと思考を変換してみよう。
もう少しだけでも広い心をもてないものか。
駅の売店で、スブラキ(羊肉の串焼き)とビールを求め、ベンチでボーッとしてみた。
ミョウに自意識過剰になるが、もし意識せずにボーッとできることが適えば、どんなに心豊かになることだろうかと、西に傾きかけた日を眺めながら思った。

 すると、定刻を1時間遅れて、濃緑の汽車が微笑むように、ゆっくりとホームへ滑り込んできた――。

       (ギリシア/コリントス)

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PS

私宛に、そしてMさんに――

コリントス湾前で、列車を待つ間、自転車遊びやいろいろな話をして愉快なひとときを過ごした子たちを写した写真を添えて――
子たちの背景の海、山、空の調和のとれた見事な青さに――
そして私たち人類の過去と未来と現在に祈り捧げる今日8月15日、速達で送りました。



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