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アバーディアカントリークラブにて
アバーディアカントリークラブにて

タイトル  アバーディアカントリークラブにて
目的地 アフリカ・中東 > ケニア > その他の都市
場所 アバーディア
時期 1998 年 9 月
種類 景色
コメント 車窓からうねるように続く平原の丘と相変わらず降り続ける雨。
ときどき、コカコーラの看板などがあるキオスクがあった。日本のバス停のような木組みの簡素な作りだ。
わずかな日用雑貨や食料品を並べ、大概太った女が退屈そうに降りしきる雨を眺めている。
キオスクがあると小さな村がある。そして今朝から学習してきたのはナイロビ周辺はキクユ族が大半を占めることだ。
太った女が多いのはそのためだ。
「キクユ族の女性はみんな太ってます」パトリックが侮蔑を込めて言った。
ケニアは数ある部族のなかでキクユ族が人口の20%を占める。
マサイ族と違い、昔から農耕を営んできた部族らしい。
部族間の対立という構図は奴隷や植民地時代を経たアフリカのもうひとつの不幸な顔だ。
西の隣国ウガンダでやザイール(現コンゴ共和国)のフツ族とツチ族の血で血を洗う抗争はその典型である。いや、抗争というよりたんなる虐殺である。
時折だが、日本の新聞にも小さく紹介されている。
ケニアは独立の父ジョモ・ケニヤッタ大統領(現在は2代目ダニエル・アラップ・モイ大統領/1998年現在)以来、内政はアフリカ諸国では抜きん出て安定している。
「キクユ族の女性に綺麗な人はいない」と吐き捨てたパトリックの言葉も何となく愛嬌に聞こえないこともなくはない。
しかし、先祖代々続いてきた土地を追われるなど、部族間同士の不信や確執は根強く残っているはずだ。
パトリックは何族出身なのだろうか?
濃い墨色がかった肌に2メートルはあろうかという身長。そしてよくよく見ればなかなか男前な精悍な顔つき。
そして、これは彼固有の性格なのだろうが、どこか「冷めた感性」。
一方、運転手のフランクはアラブ系ということがすぐにわかる。
「サラーム・アレイコム(君に平和を)」と、アラビア語の挨拶を交わすのが私との定番になっていた。
フランクはとてもフランクな(洒落じゃないよ)ナイスガイだった。
 北へ向かうジープは少しずつ高度を上げていることがよくわかる。
車窓からはサバンナ特有の木々から、青く茂るバナナ園に変わり、どこまでも続いた。
雨のなか、灌漑用のスプリンクラーがせわしなくバナナの木々に水を浴びせていたのが可笑しかった。
バナナたちにも予定外の雨ですな。
道行く車の数はめっきり減った。
後続はダチョウと戯れてきた「ネコちゃん」一派だ。
生憎の雨で、そうそうにダチョウと別れて引き上げてきたのだろう。
「はいーー、もう行きましょう〜〜」Mにつまらなさそうに言うパトリックの物真似をした。
「そやそや(笑)、似てる。さっきのハガキの字もうまいし、顔に似合わんと!結構器用やね」
「顔に似合って、でしょ?顔はその人の人生が形作っていくの」
「かわいそ〜〜マナブ〜〜、もぅそれ以上言わんでええよぉ〜〜(涙)」
「いやっ、聞いてくれっ(笑)」
「ほんでな、私も絵は結構得意なんよ。中学生のとき、出品した奈良公園の鹿の絵はわりと評判やったん。でも、先生言うねん。『画用紙がこんなに破れてなかったら、もっとよかったのに――』って」
「どしたん?(もう想像ついちゃったんですけどね)」
「奈良公園て、鹿が多いやんかぁ〜〜。座って書いてたら、後ろで誰かがゴソゴソするねん。なんやと思うて振り返ったら鹿と顔があってん。そしたら、鹿が紙食べてん。紙食べるの白ヤギさんだけやなかったんや。そんでな、鹿に紙食べられたやんか?展示してある私の絵見て友だちが『これ、どしたん?』
『鹿に食べられてん』また違う友だちが『これ、どしたん?』『鹿に食べられてん』また違う友だちが
『これどしたん?』『鹿に―――』て、説明はもうええわっ!って(笑)」
Mは会ったときからいい意味の風変わりな面を持ち合わせていたが、悪い意味で(笑)その他大勢と一緒の面も持ち合わせていた。
それは、関西人によくありがちな、「自分の話ばかりでひとの話はあまり聞いてない」ことだ(笑)。
いつも大笑いさせてもらっていたが、今回は彼女のネタの披露は控えめに笑った。
今日はどんよりした雨雲、そして雨だ。開放的な青空は広がっていない。
そして、前におとなしく座っているSとHにちょっぴり気兼ねもしたからだ。
 長く続いたバナナ園が途切れると、山林に変わった。
山林の合間にはわずかながら畑も見え隠れしている。
 やがて、ナイロビ通過以来、はじめて町らしい町に着いた。
ここが、アバーディア観光の拠点の町、ニエリの町だった。
朝6時にアンボセリを発ち、今時計の針は1時近くを指していた。
「あー、やっとメシにありつける」
パトリックが同乗してたら、もちろんこんなことは言わない。
「はい、お疲れさん、マナブー。もうシッポだしてもええよ」
「ああ、えんか?さっきからお尻がムズムズしてて」
二人のテンポのよい掛け合いも車から降りるまでであった。
「おおっ!さぶっ!」
限りなく黒に近い空の下とはいえ、ここは赤道直下の町、ニエリ。
なのに、日本の真冬なみの寒さであった。慌てて、革ジャンパーを半袖のシャツの上に羽織った。
皆も、慌ててスーツケースから防寒着を引っ張りだしていた。
Mだけは薄いTシャツのままだ。
「見るだけで寒いから何か着て!」Sからおせっかい光線を浴びせられていた。
「え?寒いですぅー?私、全然感じないんですけど」その鳥肌はなんよ(笑)。
皆、歯をガチガチ言わせながらテラス席での食事だった。
そんな私たちをよそに、庭では寒空に意を介さないかのように、湿った芝生の上を優雅に孔雀が歩いていた。
ここは、アバーディアへの拠点となるホテル。森林公園には二つのロッジがあるが、どちらのホテルも
大きな荷物はニエリにある同系列のホテルへ置いていく決まりである。
私たちが宿泊する予定である「ジ・アーク」は「カントリークラブ」に荷を預け、もう一つの英国エリザベス女王が滞在中、父ジョージ6世の訃報により王位を継承したロッジとして有名な「ツリートップス」は「アウトスパン」に預ける。
当初はツリートップスに宿泊予定であったがナイロビ以降、パトリックの説明によると二転三転し、結局ジ・アークに落ち着いたようだ。
しかし、私たちが食事を採っているホテルはアストスパンだった・・・・・・。
 ケニアではサファリ中は、宿泊するロッジが提供する食事か、キャンプでの自炊である。
各ロッジは三度の食事のみならず、日本人を除き、ほぼ長期滞在型の客が大半であるため、食事内容には特に気を使っているといえる。
アフリカ、フランス、イタリア、インド、まれに中国料理と多彩な品揃えのビュッフェスタイルだ。
好きなものを好きなだけ食べればいいシステムだ。
ただ、残念なのは、ケニアのケニアらしき食事がなかなかお目にかかれないことだ。
主食でいうと、バナナを煮て磨り潰した「マトケ」、トウモロコシ、キャッサバ(芋科)、小麦をこねて
蒸した「ウガリ」、豆、ジャガイモ、緑茶、バナナを煮て磨り潰したキクユ族の「イオリ」など。
焼肉=ニャマ・チョマは、「カーニヴァル」で食べたけど、ただの焼いただけの肉。
「なんや、味もコクもないカレーだこと・・・」寒さのせいもあり、アウトスパンの食事にまで不平を言う私。
「つくってくれたものに文句を言わないっ」間髪いれず、テーブル斜め右から声がでる。
言わずと知れたSである。Mは相変わらず華奢な腕に鳥肌をたてて、うつむいて笑いをかみ殺している。
遅めの昼食でお腹はペコペコであったが、早々に切り上げ、Mに私の膨大な荷物の番を命じ、切手を求めて売店を探すことにした。
Mに車中で読み聞かせた、アンボセリで書いたハガキをここから出すつもりでいた。
 雨は小降りになってきた。
かわって、薄い霧があたりを覆いはじめていた。冷気はますます肌に突き刺すようだ。
ホテルの半地下に売店はあった。
8畳ほどの広さのこじんまりした店だ。
「ジャンボ・ブアナ(こんにちは)」
「ジャンボ」彼女も微笑んで応答する。
スワヒリ語で知っているのはこれくらいだ。
カウンターにいた女性にハガキをみせる。
しかし、私は決定的な過ちを侵していたこと、その夜、アバーディアのホテルの部屋で暇をもてあましてパラパラとページをめくって眺めていたガイドブックにより知った。
「ブアナ」は「男性」への称号で、「女性」に対しては「ヒヒ」になることを―――。
つまり、女性への挨拶は「ジャンボ・ヒヒ」が正しい。
そのとき私はそんなことも知らずに必要以上に愛想を振り撒いて切手を買った。
 売店からロビーのレセプションに向かう。
「ジャンボ・ブワナ。ハバリ・ヤコ?(ご機嫌いかが?)」ボーイが愛想を振りまく。
ケニアでは、この陽気な印象のある「ジャンボ」でなにもかもが事足りそうな気がする。
「ンズリ・サーナ(いいですよ)」
このハガキをレセプショの男に渡すのを一瞬ためらった。
あまりにも空々しい内容だったから(笑)。
もう一度、読み返してみた。
『――子どもたちは元気にしてますか?
 迷惑かけるけど、私は充実した毎日を送っています。
 昨日、厚い雲の切れ目に雪を戴くキリマンジャロの山頂と
地平線に沈む夕日を見て、
 ―夕焼けに溶かし込む様々な邂逅―が濃縮され、
涙がでそうになり、(もちろん流したけど)感動しました――』
しかし、結局、次に向かったホテル、カントリークラブのレセプションでハガキをだした。
美化された心象風景もまた「旅の真実」であると、思い直してみたのだ。
 アウトスパンのホテルを出ると、いつのまにか深い霧がすべてを包み込んでいた―――。


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