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太鼓台差し上げ
太鼓台差し上げ

タイトル  太鼓台差し上げ
目的地 日本・アジア > 日本 > 愛媛県
場所 新居浜
時期 1999 年 10 月
種類 その他
コメント 私はビデオに専念する素振りをみせながら内心うらやましがっていたのを隠し、気後れする性格に自らを咎めてみた(嘘)。
−−おいしいとこばっかりもっきやがって−−  
その時、背後に視線を感じ振り返った。                   
大きな目でロンパリ気味のキザ屋君がいた。                 
彼の口にはバラの花があった。                       
「ヤパンヤパン、アラーム。」と言って口にくわえていたバラを私に差し出してき
た。 
なんとまあ、やっぱりキザなやつだった。                  
うそぶく私は修行が足りない、いや習性か。−−「世界中にアイ・ラブ・ユー」だ。
間近で見ると、このバラが先ほどまでどういう状態であったのかがよくわかる。 
茎の先は刃物で寸断されたのではなくいびつで、明らかに先ほどまで息づいていた生命を、手でちぎるかどうにかして、施されたものだった。アスワンと同じだ。 
私は自分のバラと、妻をまた独占しようとしているシャイマーを見比べた。   
シーワや白のドレスや目と鼻の大きな女の子その他の女の子たちの顔をぐるりと見回した。ひと廻りし、キザ屋君を見つめた。もちろん私の「目」はビデオだ。  
彼の眼はみるからにひきこまれそうなくらい大きい。睫毛も以上に長い。    
彼の大きな瞳に映った自分の鈍感さを呪った。                
彼、彼女らが闇にまぎれて広場から姿を隠した一時はバラをどこかで調達するためだったのだ。
ナズラットサマーン村中が彼女たちの広場であり庭なのだ。    
 その時、走馬灯のように思い巡らしたことがある。             
私は、あるいは私たちはいかに朧で危うく、儚い「情報」の上を綱渡りのように怯えて渡っていたことかを。しなやかに暮らす人々をいかに軽蔑の視線で追っていたかを。  
−−−−カイロに暮らす人々が私たちをつけ狙うスリばかりではない−−−−−−。  
ゲジラ島のシェラトンで部屋に入るなり電話が鳴り響き、受話器を取りたじろく私に、「部屋はどうですか?気にいらなかったら、別の部屋を要求することができま
すから、バスや設備、照明器具はおかしくありませんか?」とまくしたてて尋ねてきた空港からホテルまでの送迎に付き合った運転手とも入国審査の手伝いをしてくれた男とも違う、私たちには「存在が?」だった男。             
「部屋は変えなくてよい」                         
と私が告げた後、2名のポータが入れ替わり立ち替わりやって来て尋ねる。   
「部屋はどうか?」                            
それは当方の思い違いだったのだろうか。あの時、私は妻に言った。      
「きっと、チップを要求しとるんじゃ。払わないものだから嫌がらせしとるんよ」
私たちは夜も深まった入国だったために両替できずじまいで、エジプトポンドもドルの小額紙幣さえ、持ち合わせていなかったのだ。              
大勢の親切にきっと老婆心で答えていたのかもしれない。           
 インテリ・ヤスルは10月4日生まれの28才と言った。ビザ取得の関係で私の生年月日くらいは知っていてもおかしくはない。               
 −全力でお守りします−−と相手を思いやったやんごとなき方達の結婚式と同じ日に婚約を交わし、学生時代アルバイト先であった八重洲地下街にある煎餅屋の隣の洋菓子屋のくだけた店員に「占いに凝って勉強しているから」と練習台にされ、差し出した私の手の平を見て即座に「28才か35才で結婚する」と、言い切った言葉がいつまでも余韻が残り、意地でも28才になる一日前に式を挙げ、翌日の誕生日はディズニーランド10周年のパレードを私のバースデーを祝う式典だと、勝手に勘違いして舞浜で舞い上がり、翌日は颯爽とオリンピック航空にて一路アテネへ向かい、着いたその足で郊外の日本大使館で婚姻届を提出、めくるめく記念日続きに浮かれる最中、初日のカイロ博物 館で結婚指輪をなくした(しつこいけど、ネチネチ責められるんだなー、これが)。  
自分でも気の毒なくらい落ち込んでいる私を勇気づけるため偽って言ってくれた同い年の同じ誕生日とは彼のいたわりであったのかも知れない。         
 ルクソール東岸へファルーカで西岸に渡り、ハトシェプスト葬祭殿などがある中期エプトの首都であったテーベの遺跡巡りは、テーイップという男にまんまと嵌められ、目を覆うばかりのオンボロタクシーに乗せられた。カイロを旅立つ前、ヤスルが言った。 
「ルクソールではどんなことがあっても西岸の遺跡巡りのタクシーの上限は50ポ
ンドです。それ以上は絶対払う必要は有りませんよ」助言も虚しく、何と全然風が
吹かずに二人の少年の手漕ぎとなったアンチ優雅な船上にて、私はテーイップにやり込められ60ポンド払ってしまい、一人茅の外だったくせに私を責め立てる妻を横目にしつつ、何故か心地よい「風」が私にだけ吹いていたような気がしたのは、テーイップの明るくどこか憎めない役者のような人柄だったせいかもしれない。 
 この地を訪れることがナイル川巡りの最大の目的でもあったのだが、メムノン神像は顔が欠け歪で、 草原のなかにポツンと佇んでいるのみだったし、ラムセス4世の神殿跡も「ああそうなんですか」とばかりに、隣接した丘の上からロバで農耕する年老いた女と子供たちのやりとりを眺めていたし、有名なあまりにも有名なツタンカーメンの墓の見学は狭い通路を降りて、そこには落書きのような壁画があるのみで早々に抜け出したし、入場料を払った引換えの5枚のチケットは、岩山にへばりつき点在している王家の墓は風化した死者の町と、 ミイラにロマンもなく、「どこもかしこも同じやん」で、結局、2枚を残したまま、王家の谷を後にした。   
 そして、一番楽しみにしていたハトシェプスト葬祭殿。そこへの階段を半分もそこそこにして座り込み、デル・エル・バハリという音の響きにのみ充分余韻に浸ったとして、「っかく来たんだから中を見ようよ」にも、何処吹く「風ととも去りぬ」ばかりに、「ここにおる」と妻一人を行かし、トンビが舞うのを口を開いて眺めたりしていた。
結局、「死せる町」巡りの一番の思い出といえば、テーイップにつきるのだった。   
がめつい商売人であるはずの彼も、パピルス売りの店へ押し込もうとする彼の思惑にそうは乗るまいという私の「妻の調子が悪い。とても疲れているようなんだ」という方便に、「それはいけない。はやくホテルで休養しなくちゃ」と受け取るはずの店のマージンをあっさり逃してまで船着場までタクシーを飛ばすのだった。さっきまで元気だった妻に訝もせず・・・・・・。
60ポンドはナイル川往復も含まれていた・・・・。
得したのは我々だ。 
翌朝、彼は私たちがアスワンへ向けて出発することは知っていたのだが、私たちが宿泊 していたウインターパレスの外のポプラの木陰に座り私たちを待っていたかのように、「バナナ島へのツアーはどうだい?50ポンドにしとくよ(笑)なに?
今からアスワンだって?うちのタクシー使いな、150ドルだよ!マッサラーマさようなら」!」 
手を振り笑顔で去っていった−−−−−−。
省みれば、エジプト人に対し勝手な烙印を押し、意識してあるいは無意識のうちに遠ざけようとしていたのだ。        
 私の陰がそのまま相手に陰を落とすことを知らずに。            
彼らは皆「愛すべきお人よしさん」だったと、もう去ろうとしている時に懺悔する。


ナズラット・サマーン村の結婚式の宴はまだまだ宵の口であった。       
この村は世界一有名で世界一ミステリアスな遺跡の高台縁に沿った町の一角にある。 遺遺跡を目指してはるばる極東の地から訪れた私たちであるが、遺跡に心を打たれたれることはなく、この日常の狭間の祝宴に身を委ね、幸福な一時を過ごしている。  
 この時、私にも彼女にも間違いなく別の時間が流れていた。
300平方メートル足らずの空間がどこか別の星での出来事にさえ思えた。 
一期一会の人々の顔を一人一人数えながら、今度はしっかりと肉眼で見まわした。壇上のブルース・ウィリスことパンチ歌手は息上げながらも、休憩を挟むことなく歌い続けている。バンドメンバーはドラムにギターにキーボード、ベースそれにタンバリンの5人。彼らもご苦労なことだ。タンバリンのお兄さんは一心不乱に音を止まさずタンバリンと格闘しているかのようだった。バンドマンの晴れの日も見事に成就した。そして、コロンボさん。入れかわり立ちかわりステージに上がってくる来客を心得たとばかりの気っぷの好さであしらったり乗せたりの対応をしている。          
「腰はこうやって振るの!」よっ!ナズラット・サマーンの宴会部長。いっちゃってる。ステージにいるべきもう一人の仕切り屋禿鷹じいさんの姿はなかった。宵も深まって、 ご老体の身にはお辛いのだろうか?まさか、いっちゃってるんじゃあ?違う意味で。  
ジョージやジョンは隅っこの方ですっかり鳴りを潜めていた。         
祭りはやはり楽しむすべを心得た者たちの劇場だ。              
人生はロンドなのだから。                         
ゲーリーは相変わらずじっとして動かないし、苦虫つぶしたような顔をしているが、彼の膝元には彼の息子(親父そっくりながらも愛嬌のあるミニラ)がちょこんと乗っかっており、ユーモラスな雰囲気を醸しだしていた。洒落っ気あんじゃん、おじさんっ。妻の横にデーンと座りこんだままのマツ・カメ・ウメさんらの「ギャハハハ」以外の声を聞かずじまいだ。また、笑っとる。まだ、笑っとる。    
黒人女が抱いてる赤ちゃんはとっくに眠りについた。でも強い母は子を肩に乗せた、まま体をゆすっている。リズムは彼女のためにあるようなものだ。     
派手シャツおじさんの姿がない。彼の役目は本当に全うしてしまったのか?まさか楽団員たちまでも宴にはご用済みなのだろうか。飽き足らず、迷路を練り歩いていいるかも。馬引きの子分は結局ここに姿をみせなかった。今頃馬の手入れをしているのだろうか。明日も灼熱の太陽と乾いた土埃の台地で私たちのような鴨を狙うモーセスに従っていることだろう。私は聞きはしなかったがひょっとして彼はモーセスの息子ではないかと、頭をもたげた。そのモーセスである。         
人々の顔を確認するように広場を眺めまわす私と眼があった。        
「楽しんでるかい?」彼の眼はそう訴えかけていた。             
彼までもが善良なる市民の顔に映って見える。モーセスの顔が別れ間際のテーイップの笑顔に重なり、またテーイップはモーセスの顔にすり変わるのだった。   
ステージ上のパンチ兄さん一座のバンドマンが奏でる音楽はますますヒートアップ
していく。聴覚は旅の重要な記憶の一部となるが、私が口ずさんでいたのはもっとw別の音だった。
 それは、モーセスに引導されてあの角を曲がった時に耳に飛び込んできた行列の楽団の音であったり、アスワンでのプリミティブなヌビアのお祝いや戦闘を鼓舞するときの音であったり、日頃慣れ親しんでいる、愉快な一時の渦中の音であったりした。デッドオアアライブの「ラッキーデー」であったり。愉快で踊りだしたくなるような、晴れた日の私のテーマソングだ。決して、「河内音頭」ではない。
ましてや、カイロの ハーン・ハリーリのテープ屋「アル・サウィ」で買った「アラブ歌謡大全」ではない!(無理矢理写真に収まってもらった、うら若き店員はムチャ可愛らしかったけど・・)
そう、今夜はまさしく「ラッキーデイ」であった。
しつこいが「河内音頭」ではない。
が、そのラッキーデイよいつまでも、と願うのは叶わぬことだった。    
 いつまでもこの広場で戯れているわけにはいかない。時間は決して止まらない。相棒はモーセスに唆され、今度はアリたち新婚さんの前へ進み出て、 よせばいいのに例の棒を両手に掲げて腰振りに興じている。                
ビデオをまた奪い取って「お前も行け」と、モーセスの子分2号が相変わらずニタニタして無言で圧力かけてきた。彼はどこかで見たことがある、というかこめかみあたりに顔が浮かんでいるのだが、なかなか名前と顔が出てこない。      
私はまた(誰が期待しているわけでもないのに)一人羞恥心を露にして、ご両人とは最初の馬車以来の接近にもかかわらず、挨拶一つできなかった。       
おまけに、すでに何も持ち合わせていないことに(これまた、期待されているわけでもないに)、一人で気後れしていた。 
ジョンウェインに地元の煙草を渡された。本日、 彼とは始めて正面きっての遭遇だ。  
「これを新郎に勧めてあげなさい」彼の「流し目」の残像がガラガラと音をたてて崩れていく。私はますます自分が小さくなってしまい、藤椅子からそうそうに引き上げた。  
私の晴の日の物語の潮時でもあった。                    
いつまでも、ここに留まっているわけにもいかず妻に伝えた。         
「明日、ギリシア行けんかったらいかんから、もう帰ろうか」         
彼女は「今」を楽しむ術を知っている人だったので、心残りな素振りもせずに、シャイマーやお世話になったオババたちに段取りよく挨拶を交わしはじめた。   
モーセスこそは、心残りの様子で、                     
「ホテルまで送ろう」と申し出た。また、馬に乗せられ「20$」じゃ、割に合わん。 
「もう充分してもらった。二人で帰れるから大丈夫」にも納得しない。     
というか、当方の英語のボキャブラリーが少し増えただけで、しらん顔するのだ。「私は英語のわからない生粋のアラブ人です」                
結局、モーセスの子分2号がニタニタしながら道案内することになった。       

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