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サナアのスーク
サナアのスーク

タイトル  サナアのスーク
目的地 アフリカ・中東 > その他の国・地域 > その他の都市
場所 サナア
時期 1996 年 5 月
種類 景色
コメント 群集にもみくちゃにされながらバーバルヤマンをくぐる。
前後左右見渡しても妙齢の女性は皆無。すべての人は腰に半月刀(ジャンビア)をさした男たちばかりだ。
門には横断幕が張られていた。アラビア語の横文字で何を書いているかはわからないが、おそらくアッラーを賛える文言か、いよいよ明日からはじまる犠牲祭を祝う文言が踊っているに違いない。
人また人に押し出されるようにして門をくぐり、広場にでた。
露店がならぶ。色とりどりのパラソルが日中の厳しい日差しを受けて照り返していた。
女性の売り子もいて、後日読んだガイドブックによると、彼女たちは階層の低いひとびとであるらしい。
広場中央あたりで、スピーカーを通して叫んでいる老人がいる。
うねるような人の波は、広場でも止まることなく、広場の先に放射線のようにのびる道もひとまたひとだ。そして、ほとんどの群集は目的地があるようで広場から真ん中に伸びる道を行く。
門をくぐる前からずっとモミクチャにされて疲弊した私はその道は進まず、人ごみから離れて大切なものを確認することにした。
腹に巻いたり尻ポケットにしのばせた財布などを手探りで確認し、安堵する。どんな世界であれ、世の中とりあえず金だ。
 イエメンの通貨は、全土で旧北イエメンの通貨が普及している。
経済的に比較的裕福な北イエメンが吸収するかたちで統一を成し遂げたのはドイツの例と同じである。
旧南イエメンの紙幣、ディナールを通用することにはするが、レートを聞けば、旅人が手にする気は失せるだろう。
1ドルが約120リアル(96年当時)。円と為替が似通っており、断然、リアルの方が使い勝手がよい。この国では、銀行やホテルなど公共レートは悪く、半ば公然と闇両替商が街を跋扈している。
初日、ホテルの敷地内にまでドル替えの商人たちが自由に往来していたのに驚いた。
私たちのガイドも、彼らと交渉してドルをリアルに替えることを勧めた。
これでは、「闇商売ではないな」と苦笑いしたが、日に何便もない国際線で大勢の観光客が一斉に訪れて、その一同が両替を申し出るものだから、「今は手元にないから午後に」という。
両替商の言葉に今一度、苦笑いせずにはいられなかった。
 約束の午後に、リアルを手に入れ、さらにさらに苦笑いさせられた。
とりあえず、アラブ圏での必需品ミネラルウォーターなどの購入にと、50ドルほどをリアルに両替したつもりでいた。ポンコツのトヨタ製の四輪駆動車の後部席から取り出された紙袋に入った紙幣を渡される。
一枚50ドル紙幣の対価として渡されたのは、頑丈な輪ゴムでたばねられた厚い紙幣2束である。
なんと、ほどんどが10リアル紙幣で、高額紙幣で20リアルがせいぜいなのであった。
50ドルが闇両替で5,000リアルである。紙幣が約500枚!
懐奥にしまいこむはずの紙幣は、カバンのなかにしか収まりが着かず、私は財布には水とタバコ代くらいの額を持ち歩くしかなかった。
そして、毎朝、起きてまずは、カバンのなかの紙幣の束をばらして、枚数を確認するというのが日課となった。
大量のリアル紙幣を数える怪しげな東洋人は小金もちのようで、その実、「リアル貧乏」である。
ホテルで早速購入した水ボトルは200リアルであった。10リアル紙幣が20枚である。
旅中、旧南イエメンでもディナールはお目にかからなかったが、その「恐怖」を想像できるではないか。
 

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<b>つづく</b>

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